ちょうど良い
この「デイリーブレッド」を執筆するのは私の大好きな仕事ですが、短いデボーションエッセーで100パーセント伝えたいメッセージを言い表すのは大変です。友人に「もう少し長く書けると良いのだけれど…」と愚痴をこぼすこともまったく無いわけではありません。
今年の聖書通読のスケジュールに従ってマタイの福音書を読んでいて、あることに初めて気づきました。キリストがサタンに誘惑されるところは(マタ4:1-11)、なんて短いのだろうと思ったのです。このマタイの記した、聖書の中心的な出来事のひとつは、ほんの半ページほどで記されています。短いけれど力強い聖書個所が、他にも思い出されました。詩篇23篇や、マタイの福音書6章9-13節にある主の祈りです。
伝えるべきことを伝えるために、言葉数が多くなくても良いことは明らかです。ただ、言葉を賢く選ばなければなりません。人生の他の分野にも同じことが言えます。時間やお金、空間なども多い少ないではなく、いかに賢く用いるかです。神のみことばは、神の国とその義を求める者の必要を満たすと断言しています(マタ6:33)。詩篇を書いたダビデもまた、「主を尋ね求める者は、良いものに何一つ欠けることはない」(詩34:10)と私たちを励ましてくれます。
もしも今日、「もう少しあれば…」と思っているなら、愚痴をこぼす前に考えてみましょう。あなたに「ちょうど良い」ように、神は与えておられるのではありませんか。
止められない
上が駄目なら下から、それも駄目なら、脇にまわるか、または中央を突っ切るか…止めようとしても無駄ですよ。自分が得するチャンスに出会うと、このような態度で、何とかしてそれを物にしようとする人をしばしば見かけます。そして、目的を果たすためにあらゆるものをつぎ込みます。けれども、その考えは間違っているかもしれません。実際、バラムという男のロバがその証です。
バラムは隣国の王からもうけの多い仕事を頼まれたので、引き受けてもよいだろうかと神に尋ねました(民22)。しかし、神は良しとは言われませんでした。すると隣国の使者は、さらに高い報酬を提示して、彼を誘いました。バラムは、神が考えを変えてくださるかもしれないと期待して、再度、神に尋ねました。すると神は行っても良いと言われましたが、それには厳しい条件が付けられていました。神はバラムの本心をご存知で、それを快く思っておられませんでした。そういうわけで、神は主の使いを送られ、バラムの行く手を阻まれたのです。バラムには主の使いが見えませんでしたが、バラムを乗せていたロバには見えたので、進みません。バラムは前進しようとしないロバに腹を立て、ひどく叱りつけました。
バラムの物語は、全ての障壁は乗り越えるためにあるのではないことを教えてくれます。中には、私たちが愚かなことをしないように、神が準備してくださった障壁もあります。計画が狂ったとき、それがサタンの仕業と決めつけないようにしましょう。神が私たちを守ってくださっているのかもしれません。
神の贈り物
良い睡眠は健康に必要です。なぜそうなのかは、まだ科学的に解明されていませんが、睡眠不足が引き起こすさまざまな弊害は分かっています。睡眠不足は老化を早め、肥満の原因になります。また風邪やインフルエンザ、さらには癌に至るまで、多くの病気の遠因となります。神が私たちの睡眠時間中にしてくださることは、まさに奇跡です。私たちは何もしていないのに、神は私たちのエネルギーを補給し、細胞を修復したり再生したりし、脳内の情報を整理させてくださいます。
睡眠不足の原因は色々で、中には自分では解決できないものもあります。聖書は働きすぎで睡眠不足になってはいけないと語っていいます(詩127:2)。睡眠は感謝して受けるべき神の贈り物ですから、もし十分に眠っていないなら、その原因を突き止めなければなりません。余分なものを買うために、朝早くから夜遅くまで起きて働いていませんか。人には任せられないと思って、あれこれの奉仕に手を出していませんか。
自分が起きて神のためにする仕事は、自分が寝ている間に神がなさる仕事以上に大切であるかのように行動する誘惑が、私たちにはあります。しかし、睡眠という神からの賜物を受け取らないことは、「私の仕事のほうが、あなたの仕事より重要です」と神に申し上げているようなものです。
神は、仕事や奉仕の奴隷になってよい人がいるとは思っておられません。神の贈り物として、私たちが睡眠をゆっくり楽しむことを願っておられます。
何のかかわりがありますか
母の日礼拝などで特別賛美をするとき、子どもたちが指揮者に注意を向けることはありません。もじもじしたり、隣の子をつついたり、会衆の中に親を探そうときょろきょろしたりします。もちろん、口を動かして歌っているときもありますが、それでも指揮者を見てはいません。とはいえ、このような子どもの様子は可愛らしいものです。
一方、大人の聖歌隊は違います。全員がきちんと指揮者に注目しなくてはなりません。美しい賛美は、こうしてひとつになることによって初めて可能だからです。
私たちクリスチャンは、子どもたちの特別賛美のようではないでしょうか。まわりの人に気を取られて、人生の指揮者であられるイエスにしっかりと注目していないのではないでしょうか。
イエスは、ペテロのこのような態度を正されました。ペテロは、自分の将来について聞かされた後、「この人はどうですか」と尋ねました。するとイエスは「それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい」と答えられました(ヨハ21:21-22)。
私たちは、人のことが気になって心が乱れることがあります。自分に備えられた神のご計画を他人のものと比べて、うらやましく思うことがあります。しかし、すべての人に備えられた神のご計画の本質は同じです。それはすなわち、イエスに従うことです。イエスをしっかりと見つめましょう。そうすれば、他人のことを気にして心を乱すことはなくなります。
風と火
屋外で火をおこそうとしても、風が吹き消してしまうことがあります。ところが風は、火を燃やし続けようとするなら、それを助けてくれます。前者では、風は私のしたいことを邪魔する「悪い人」であり、後者では私を助けてくれる「良い人」です。
贈り物
クリスマスはプレゼントを贈るときです。私たちの多くは、友人や家族が喜ぶ贈り物を見つけようと一生懸命探しますが、すべての人に平等な贈り物をするわけではありません。例えば、健康グッズやダイエット本のように、贈り主の暗示が込められたものがあります。また、自分が欲しいと思っているものをプレゼントする場合もあります。しかし、一番嬉しいプレゼントは、自分が何を欲しいかを知っている人が贈ってくれたものです。
喜び
アダムとエバが神にそむいたことで、喜びが失われました。神は、それ以上の悪い事が起こらないように、ふたりをエデンの園から追放されました。もし、彼らが善悪の知識の木のみならず、いのちの木の実も食べたならば、あのみじめな状態で永遠に生きながらえなくてはならないのです(創3:22)。
希望が必要
アダムとエバに希望は必要ありませんでした。満たされていないものは何もなかったからです。また、神がすべての良いものを与えてくださっている環境の中で、その快適な生活がずっと続くと考えるのも、至極当然でした。しかし、神はあるものを独り占めしていると蛇に吹き込まれ、それを欲しがったために、すべてのものを失う危機が訪れました。
隠れようがない
何かが焦げているような臭いがしたので、急いで台所に行きましたが、コンロもオーブンも大丈夫です。臭いをたどりながら家中を巡って階下に降り、鼻を頼りに進んでいくと、私の仕事部屋にたどり着きました。そして、机の下を覗き込むと、「香り豊かな」飼い犬のマギーが、「助けて」と目で訴えています。2階で焦げ臭いと思った臭いは、スカンクのガスだったのです。