アダムとエバに希望は必要ありませんでした。満たされていないものは何もなかったからです。また、神がすべての良いものを与えてくださっている環境の中で、その快適な生活がずっと続くと考えるのも、至極当然でした。しかし、神はあるものを独り占めしていると蛇に吹き込まれ、それを欲しがったために、すべてのものを失う危機が訪れました。彼らが欲しかったのは善悪の知識でした。エバは蛇のそそのかしに飛びついてしまい、アダムもそれに続きました。彼らは、自分の欲しかった「知識」を得ましたが、「罪を知らない」という今までの状態を失ってしまいました。「無罪」という状態を失ったために必要となったものが希望です。自分たちの罪と恥が取り除かれ、「善」と「良」しかないという状態に戻るという希望が必要になったのです。

クリスマスは希望の季節です。子どもたちは最新のおもちゃやゲームが欲しいと言います。私たちは、家族そろってクリスマスを祝えるようにと願います。しかし、クリスマスの希望とは、私たちの願いよりずっと大きなものです。イエスが希望です。主イエスは、すべての国々の宝物です(ハガ2:7)。イエスは「私たちを暗やみの圧政から救い出し」てくださったので、「私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています」(コロ1:13-14)。主はさらに、私たちが善にはさとく、悪にはうといようにしてくださいます。私たちの内におられるキリストは、私たちに栄光の望みを与えてくださいます。クリスマスの希望のために、神をほめたたえましょう。