神に仕える
英国のエリザベス女王の国葬が2022年9月に行われた時、1万人を超える兵士や警察官が警備にあたりました。個々の役割は特段のものではありませんが、彼らの多くはそれを最高の栄誉と思いました。ある兵士は、「女王陛下のために最後の務めを果たす機会」だと語りました。彼にとって、何をするかではなく、誰のためにするかが、職務の重要性を決定づけたのでした。
祈りによって愛す
ジョンは厄介な人でした。怒りっぽくて、要求が多く、横柄な態度が目立ちました。教会スタッフの仕事ぶりにケチをつけ、人に奉仕していないと文句ばかり言います。正直、好きになれない人でした。
神に覚えられている
ショーンは家庭というものをあまり知らずに育ちました。母親は亡くなり、父親は不在がちで、常に寂しく不安でした。しかし、近所の夫婦が助けてくれました。彼は家族の一員のように迎えられ、その家の子どもたちにも可愛がってもらいました。自分も愛されていると実感できたのは、彼らのおかげです。また、教会にも連れて行ってもらいました。ショーンは自信に満ちた若者に成長し、ユースリーダーの一人になっています。
未知のルート
誘いに乗るべきではなかったのです。私は外国にいて道を知りません。場所も距離も地形もです。その上、ブライアンは俊足です。無理についていって足を痛めるかもしれません。でも仕方ありません。彼を信頼する以外、打つ手はないのです。走り始めると不安が増しました。うっそうとした森のくねくね曲がったでこぼこ道です。しかし、感謝なことに、ブライアンは何度も振り返って私の様子を伺い、悪路の前には警告をくれました。
悲しみの中にある希望
ルイーズは皆を笑顔にするかわいく活発な女の子でしたが、5歳の時、珍しい病気で突然亡くなりました。それは、両親のデイデイとピーター、そして私たち同僚にとって大きなショックで、深く悲しみました。
平凡な日々の祝福
通勤電車になだれ込む人々を見ていると「憂うつな月曜日がやってきた」とため息が出ました。車両いっぱいの眠くて不機嫌そうな顔は、職場に行きたい人は一人としていないと思わせます。空いたスペースに割り込んだり、無理やり入って来る人がいたりすると、彼らは眉間にしわを寄せるのです。「ああ、また、平凡な1日が始まる」
イエスを信じて前進する
林をランニング中、近道を見つけようと別の道に入りました。迷子になったかと思って、向こうから来た人にこの道で大丈夫かと尋ねると、「大丈夫!」という答え。そして、けげんな面持ちの私を見て、こうつけ足しました。「心配ないよ。僕は間違ったルートは全部試した。でも大丈夫。それが走ることだから」
遠すぎない
ラジは少年時代にイエスを信じましたが、すぐに信仰を離れ、神と無縁の生活を送りました。ある時、やり直そうと教会に行きましたが、長年教会を離れていたととがめられただけでした。恥をかかされ、信仰を忘れた年月を後悔しました。そして、希望はもう無いかと思った時、シモン・ペテロの話を思い出しました(ルカ22:34、60-61)。イエスは、三度もご自分を否定したペテロを受け入れられたのです(ヨハ21:15-17)。
それはしるしですか?
ピーターは失業した後、必死に祈り、ついに良い条件の内定をもらいました。専業主婦の妻と幼い子ども。自分が唯一の稼ぎ手です。友人たちは、祈りの答えだと言いました。ところが、その会社が怪しげな事業に投資し、汚職の嫌疑がかかっていると分かり、不安になりました。彼は結局、内定を辞退しました。苦渋の決断でしたが、「神のみこころは、私が正しく生きることのはず。今は神が必要を満たしてくださると信じるしかありません」と語りました。