ジョンは厄介な人でした。怒りっぽくて、要求が多く、横柄な態度が目立ちました。教会スタッフの仕事ぶりにケチをつけ、人に奉仕していないと文句ばかり言います。正直、好きになれない人でした。

それで、彼ががんと診断されたと聞いても祈る気になれませんでした。きつい言葉を吐かれたことや彼の嫌な性格が次々に思い出されます。しかし、イエスが愛しなさいと命じられたことを思い出し、彼のために毎日、短く祈りました。数日後、彼の嫌なところを以前ほど思い出さなくなっていると気付きました。彼だって落ち込んでいるにちがいない、絶望しているかもしれない、と思えるようになりました。

祈りは、自分や自分の気持ち、自分と人との関係を、神にオープンにするものだと分かりました。神を招き入れ、神の見方を取り入れます。自分の意志や感情を祈りの中で神に差し出す行為は、私の心が聖霊によって作り変えられることにつながります。ゆっくりと、しかし、着実に。敵を愛しなさいという命令のすぐ後に、「あなたがたを侮辱する者たちのために祈りなさい」(ルカ6:28)と命令があるのも道理です。

ジョンのことは今でも好きになれません。しかし、聖霊に助けていただいて、彼を神の目と心を通して見ることを学んでいます。赦(ゆる)されるべき、愛されるべき人として。