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Monica La Rose

Monica La Rose

モニカ・ラローズ氏(旧姓ブランズ氏)は、イリノイ州パロス・ハイツにあるトリニティークリスチャン大学で英語学と神学を専攻した後、ミシガン州グランドラピッツにあるカルヴィン神学校で神学修士号を取得しました。2019年10月に、ミュージシャンでありエンジニアでもあるベン・ラローズ氏と結婚しました。ふたりは、家族や友人、そして二匹の猫と過ごす時間を大切にしています。

寄稿一覧 Monica La Rose

役に立つ誘惑

古来、人々に愛読されてきた15世紀の修道僧トマス・ア・ケンピスの著書『キリストにならいて』には、誘惑に対する意外な見解が示されています。ケンピスは、誘惑されたとき、人はへりくだり、きよめられ、教えられると言います。そして、勝利の鍵は、真の謙遜と真の忍耐。そのうちにあって、我々は敵よりも強くなると説明しています。

幹と枝

問題続きの中、激しく揺れ動いた感情をカウンセラーに話すと、心から傾聴してもらった後、外の紅葉を見てごらんと言われました。色づいた枝が風に揺れています。彼女は、幹は動いていないことを指摘して次のように言いました。「私たちもあれと似ています。風が四方八方から人生に吹きつけると心乱れ、自分が枝のように感じます。カウンセリングの目標は、あなたが自分の幹を見つけられるように援助することです。そうすれば風が吹いても、枝のようには動じないでしょう」。

秘訣

飼い猫のヒースクリフは、重度のFOMOかもしれないと時々思います。FOMOとは、いい思いをするチャンスを逃すことへの恐れを指しますが、彼は、買い物袋に飛びついて中身を調べたり、野菜を切っているとおこぼれをねだったりします。しかし、もらうとすぐに興味を無くし、つまらなさそうな顔で立ち去るのです。しかし、その姿は現状に満足せず、「もっと、もっと」と常に求める私の姿を映しているのかもしれません。

ドラゴン地帯

言い伝えによると、中世の地図の端には「ドラゴン地帯」と書かれていたそうです。それは、当時の世界の果てで、待ち伏せている恐ろしい獣の絵が添えられていることもあったそうです。

世界で一番好き

姪のジェンナは3歳で、私をメロメロにさせるしぐさをします。自分の好きなこと、例えば、バナナクリームパイを食べたり、トランポリンやフリスビーで遊んだりする時、大げさに腕を一振りして「これが世界で一番好き!」と宣言します。こんなに大胆に「好き!」と表現したのはいつ頃までだっただろうと、自分の過去に思いを馳せるときさえあります。

ヨハネは、何度も「神は愛です」と書きました(Ⅰヨハ4:8、16)。それは現実の根底にあるものは、怒り、恐れ、恥ではなく、すべての土台は神の愛だという認識を、大人は持ちにくいからかもしれません。人々は自分が最も恐れていることに基づいて分断され、自分にとって都合の悪い見方を悪者呼ばわりしたり無視したりしがちです。しかし、人々の勢力争いの中でも(5-6節)、神の愛の真理は変わることなく闇を照らす光です。真理は、謙遜、信頼、愛を学ぶように促します(1:7-9、3:18)。私たちの不都合な真実を、光が暴露したとしても、それでも、私たちは神に愛されています(4:10、18、ロマ8:1)。

ジェンナが「世界で一番好き」と私に耳打ちすると、私も「世界で一番好きよ」と応じます。そして、神の無限の愛に抱かれていることを感謝します。

意地悪への対応

ネットの掲示板などで、本題とは無関係に他の投稿者を中傷したり、「ネタ」と呼ばれる嘘を真に受けた人を嘲笑したりする人がいます。これらはデジタル社会の問題ですが、悪意ある投稿が無視されれば本題から逸脱するのを防ぐ助けになるでしょう。

落ち着きなさい

ディズニー映画「ビアンカの大冒険」で、ケガをしたアホウドリのウィ ルバーに医者が「リラックスしましょう」と軽く言いました。すると嫌々やって来た気の立ったウィルバーは「リラックスしていますよ。…これ以上リラックスしたら死んでしまいます」と皮肉を言い、ますます興奮していきます。医者のうさんくさい治療法を見たウィルバーの不安はもっともですが、その光景は滑稽です。本当に危機なのか否かは別として、私たちがうろたえたときの姿を映しています。

いとしいもの

トールキンの三部作「指輪物語」(原題:The Lord of the Rings)に登場するホビットのゴクリは「いとしいしと」と言って力の指輪に対して狂気じみた執着心を示しますが、その姿は、今日の私たちの貪欲、執着、狂気を象徴しています。彼の姿に「人ごとではない」と思わされるのですから、まことに厄介です。ゴクリは、指輪に対する愛と憎しみに苛まれていますが、その声は、私たちの心の内にある飢え渇きの反映とも言えます。

愛と平安

深い悲しみの中にいても、言葉では説明できない平安で心が満たされることに驚かされます(ピリ4:7)。それを父の葬儀で体験しました。弔問客が長い列を作り挨拶して通り過ぎる中、高校時代の友人の顔が見え、ホッとしました。彼は黙ってハグをしてくれました。辛く悲しい一日の中で、心が平安で満たされていくのを感じ、決してひとりではないと元気づけられました。