名前を知っている
長年集った教会を3年間、離れていましたが、夫婦で戻ることにしました。教会の反応はどうだろうと不安でしたが、日曜日の朝に会堂に入ると、「パット、ダン、久しぶり!」と、私たちの名を明るく呼んで迎えてくれました。児童文学作家ケイト・ディカミロが書いているように、この殺伐とした世の中で、大好きな人から名前で呼ばれることほど心地よいことはありません。
勇敢な愛
彼らは4人の従軍牧師でした。輸送艦ドーチェスターは、第二次大戦中の1943年2月の寒い夜、グリーンランド沖で魚雷を受け、沈没しかかっていました。4人は慌てふためく兵士たちに全力で仕えました。生存者によれば、救命ボートに殺到する兵士たちに、勇気を説いていたそうです。救命胴衣が足りなくなると、自分たちのものを若い兵士に与えました。自らは死ぬ覚悟で、若い兵士を助けたのです。生存者のひとりは「見たことのない高貴な光景だった」と述べています。彼らはともに沈みゆく兵士たちを勇気づけようと、腕を組み、大声で祈りました。
無事に岸へ
パプアニューギニアのカンダス族の人々は、自分たちの言語に翻訳された新約聖書を待っていました。しかし、それを運ぶ仲間は、小船で海を渡らなければなりません。その勇気の源は何でしょう。船を操る自信もそうですが、海を造られた神を知っていることも大きいのです。神は、一人ひとりの人生行路を導き、波立つ大海原を渡らせてくださいます。
神によって好転する
孫は大学のバレーボール部で勝利の原則を学びました。どんな状況になっても、立腹したり、非難したり、言い訳したりせず、自分の行動でチームがより良い状態になるようにするのです。
賛美する喜び
神を信じた当初、C.S.ルイスは神を賛美することができませんでした。事実、この有名な作家はこれを「つまずき」と呼んでいます。ルイスは、神がご自分に対する賛美を要求されているということが、どうしても納得できなかったのです。しかし、やがて、神は神の民の賛美の中にご自分の臨在を現されるのだと気付きました。キリスト者は、光の輝きを映す鏡が光り輝くように、神の完全な愛の中で、神を喜ぶと気付いたのです。
罪に気づく
孫たちが庭の雑草取りをしてくれました。最年少の孫は、「根っこから抜いたわ」と、株を手にご満悦です。彼女は、その日、庭をきれいにすると嬉しいという体験をしましたが、雑草を抜くと決意しなければ、この喜びは味わえません。
忍耐強く求める
南スーダンのセミ・ニゴ司教は、ケリコ語の聖書翻訳の大きな遅延を「時がゆき、戦争が来て」と語りました。実はケリコ語の印刷物は皆無でした。何十年も前に、ニゴ司教の祖父が、聖書の翻訳プロジェクトを果敢に始めましたが、戦争や戦後の混乱、北ウガンダとコンゴ民主共和国の難民キャンプに対する度々の攻撃がそれを阻んできました。しかし、ニゴ司教と信徒たちはあきらめず、彼らの粘り強い努力は、ついに報われました。ケリコ語の新約聖書は30年後に完成し、お祝いに沸き立つ難民の人々に配られました。聖書翻訳を指導した宣教師たちは、ケリコ人の熱意は言葉では表せないほどだったと語りました。
歌いましょう!
元オペラ歌手のナンシー・グスタファソンは、認知症の母を訪ねて衝撃を受けました。彼女は娘を認識できず、ほとんど話せません。しかし、月一度の訪問でふとひらめき、母に向かって歌うと、彼女は目を輝かせて20分間もともに歌い、「グスタファソン・シンガーズね!」と冗談まで口にしました。音楽には記憶を呼び覚ます力があると論じる専門家がいますが、彼女の回復は、その可能性を示唆します。懐かしいメロディを口ずさむなら、気持ちが明るくなり、転倒を防ぎ、危険行為や鎮静剤の使用を減らすでしょう。
失ったものを取り戻す
若い牧師がバイブルスタディーでスマホを落として壊してしまいました。ダメもとでショップに駆け込むと、ビデオや写真など、すべてのデータを復元してくれた上に、新品のスマホと取り換えてくれました。彼は失ったものを取り戻し、それ以上のものを得たと言います。