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Poh Fang Chia

Poh Fang Chia

ポー・ファン・チア氏は、15 歳でイエスを救い主として受け入れました。同時に、心に触れる本を書きたいという思いを神に伝えました。チア氏は2014年から「デイリーブレッド」の著者として加わり、コピーエディターとしてシンガポール事務所で神に仕えています。

寄稿一覧 Poh Fang Chia

何一つ欠けない

着替えやお金を持たずに、旅に出ると想像してください。それは、賢明ではないし、恐ろしいことです。しかしイエスは、初めての宣教旅行に出る十二弟子に、「旅のためには、杖一本のほかは、何も持って行ってはいけません。パンも、袋も、胴巻に金も持って行ってはいけません。くつは、はきなさい。しかし、二枚の下着を着てはいけません」と言われました (マコ6:8-9)。

人生を見いだす

お前はろくでなしだ、家の恥だ、という父の言葉がラビの心に深く突き刺さりました。頭の良い兄弟たちと違って、ダメなやつだと言われてきました。スポーツで秀でようと頑張り、成果を上げましたが、役立たずだという劣等感が消えません。「こんな思いで生きつづけるぐらいなら、人生を終わらせたい」といつも考えていましたが、人に相談したりはしませんでした。自分の心の痛みは自分の内に秘め、自分の崩れ落ちる世界は自分で支えなければならないと考えていたからです。

傷ついた

チャールズ・ロゥエリーは友人に、腰が痛いと言いました。同情してもらいたかったのです。ところが友人は、「君の問題は、腰じゃなくてお腹だ。お腹が大きすぎて、腰に負担がかかっているんだ」と正直に言ったのです。ロゥエリーは、腹を立てる誘惑に打ち勝って減量に励んだと、雑誌のコラムで語っています。体重が減ると腰の痛みも消えました。彼は、「あからさまに責めるのは、ひそかに愛するのにまさる。愛する者が傷つけるほうが真実である」という箴言27章5、6節のみことばを受け止めたのです。

安全な居場所

怖くて家を出られない青年がいました。彼は人を避けるために日中に眠り、夜はテレビを見て過ごしました。いわゆるひきこもりです。発端は、学業の問題で不登校になったことでしたが、外の世界から離れている時間が長くなるにつれ、社会に溶け込めないという不安も強くなりました。そして、友人や家族とも話さなくなりました。ところが、「居場所」という若者の集まりに参加し、今は快方に向かっています。そこは、傷ついた人々が社会に向けて再出発できる安全な場所だそうです。

取り込む価値はありますか?

体重57キロの人が240キロカロリーを燃焼するためには、時速8キロで30分走らなければなりません。これは私の好物、地元シンガポールで人気のエッグ・ロティプラタ一枚分のカロリーです。ジムに行き始めて以来、カロリーは私の関心ごとになりました。食べ物を見ると、常にカロリーを考えます。

誰が告げるのか

第二次世界大戦が終わり、平和が宣言されました。しかし、フィリピンのルバング島に駐留していた大日本帝国陸軍の小野田寛郎少尉は、戦争の終結を知りませんでした。終戦を知らせるビラが空からまかれるなど、捜索活動はありました。しかし1945年、彼が最後に受けた命令は、「そこに留まり戦え」でしたから、それらは敵の陽動作戦だと考えたのです。小野田少尉が投降したのは、1974年の3月、終戦から30年近くたってからでした。彼の上官だった元陸軍少佐がフィリピンに赴き、正式に任務を解除しました。こうして小野田少尉は、ようやく戦争の終結を受け入れました。

走れ、走れ!

目覚まし時計が鳴りました。もう朝です。長い一日の始まりです。仕事、会合、人の世話…。やらなければならないことが山ほどあります。あなたに限ったことではなく、私たちの多くは、走れ、走れと毎日、馬車馬のように追い立てられています。

愛することを学ぶ

昔のヒット曲は「愛は世界を動かす」と歌っていますが、その一方で、愛は人を傷つきやすくします。感謝されないのに、傷つけられると分かっているのに、なぜ愛さなければならないのか、と思うときがあるかもしれません。しかし使徒パウロは、「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。愛を追い求めなさい」(Ⅰコリ13:13-14:1)と、単純明快に述べています。

主よ、助けてください!

友人が妊娠したと知り大喜びしました。予定日を指折り数えて、いっしょに待ちました。ところが、赤ちゃんは分娩時に脳に障害を負ったと知り、私の心は張り裂けんばかりでした。どのように祈ったらよいのか分かりません。ただ、祈る相手が神だとは分かっていました。神は私たちの父であり、呼べば応えてくださるのですから。