怖くて家を出られない青年がいました。彼は人を避けるために日中に眠り、夜はテレビを見て過ごしました。いわゆるひきこもりです。発端は、学業の問題で不登校になったことでしたが、外の世界から離れている時間が長くなるにつれ、社会に溶け込めないという不安も強くなりました。そして、友人や家族とも話さなくなりました。ところが、「居場所」という若者の集まりに参加し、今は快方に向かっています。そこは、傷ついた人々が社会に向けて再出発できる安全な場所だそうです。

教会をこの「居場所」に例えるのはどうでしょう。確かに教会は、欠点だらけの人の集まりです。使徒パウロはコリントの教会に宛てた手紙の中で、過去の彼らの生き方は、反社会的で有害、自他を危険にするものだったと述べています(Ⅰコリ6:9-10)。しかし、この教会の人たちはイエスを信じて変えられ、健全にされていきました。パウロは救われた人々に、互いに愛し、忍耐し、親切にするように、また、人をうらやんだり、見下げたり、礼儀に反することをしないようにと教えました(13:4-7)。

教会はわたしたちみんなの「居場所」であり、どんな苦しみや痛みに見舞われたとしても、神の愛を体験できる「居場所」であって欲しいものです。また、傷ついた世の人々がキリスト者を通して、キリストの深い思いやりを体験することもできますように。