新しく造られた者
若い頃勤めていた職場に、クリスチャンをからかって喜んでいる人がいました。彼は信じたばかりのクリスチャンや、イエスを証しようとする人を情け容赦なくやっつけました。この同僚がイエスに従うことは決してないだろう…、私はそう思って職場を後にしたことを覚えています。
助けに来ました
ジェイコブ・リースは19世紀のジャーナリストで、当時のニューヨーク市の貧困をまざまざと映し出し、他人事には無関心な一般大衆にその現実を知らしめました。彼の著書「対岸の生活」は、自身の写真と文章で構成されており、その赤裸々な描写は、絶望的なまでの貧困が確かに存在するという現実を一般の人たちに突き付けました。リース自身、15人兄弟の3番目として生まれ、どん底の貧しさを経験したので、真に迫るものを書くことができたのです。
声を上げる
いじめられた経験のある人の話を聞くと、少なくとも二重に傷つけられていることが分かります。ひとつは誰にも明らかなことで、実際にいじめている人の意地悪さに傷つきます。それ自体、ひどいことです。しかし、それ以上に深く人を傷つけ、それ以上に悪影響をおよぼす可能性のあるものは、周りの人たちの沈黙です。
「さようなら」は言わない
フランシス・アレンは私をイエスに導いてくれた人ですが、この世を去ってイエスに会う日が近づいてきました。それで、私は彼の家を訪問しました。思い出に残る、意味のある言葉をかけたいと思ったのです。
ここから始める
砲撃でできた穴の中に、1944年6月6日、3人の米軍将校が身を寄せ合い潜んでいました。彼らは潮に流されて、ノルマンディーのユタ・ビーチの誤った地点に上陸したのです。しかし、「ここから戦いを始める」と決意を固めました。そして、困難な地点からスタートしたのです。
サウロもダマスコでイエスと出会って窮地に陥り、決断を迫られました(使徒9:1-20)。自分の人生の、立ち位置と方向性が間違いだったことが突然明らかにされ、それまでの人生は虚しいもののように感じられました。前進には、厳しくて不快な仕事を要します。自分が引き裂いた信者の家族に、向き合うことさえあるでしょう。彼は「主よ、私はどうしたらよいのでしょう」と尋ねました(使徒22:10)。
私たちはしばしば、想定外の立場や、自分の計画でも願いでもない状況に置かれることがあります。ローンの返済に困っていたり、病気になってしまったり、罪の呵責(かしゃく)に苦しんでいる人がいるかもしれません。キリストに出会ったとき、刑務所にいても豪邸にいても、心敗れ無一文でも自分勝手な欲にまみれていても、後ろのものを忘れて、キリストに向かってひたむきに前進しなさい、というパウロの忠告に従うように聖書は勧めます(ピリ3:13-14)。キリストといっしょなら、過去は前進の妨げになりません。
愛をもって聞く
バーモント州に住んでいたころ、ある夏の主日の夕拝で、若い宣教師が話をしました。彼ら夫婦が派遣された国には宗教対立があり、子どもを連れていくのは危険すぎました。それで娘を寄宿学校に託したのですが、置いていかないでとすがられ、胸がかきむしられるようだったと話しました。
全てを与える
アメリカ大統領の就任演説でジョン・F・ケネディーは、「国家が君のために何をするかではなく、君が国家のために何ができるかを問いなさい」と、アメリカ国民を鼓舞しました。それは、自分たちの人生を他の人のためにささげて仕えようという、古くて新しい呼びかけです。その言葉は、第二次世界大戦で自国に仕えた人々の子ども世代の心を動かしました。
将来の住まい
さまざまな時、出来事、そして、人が織りなすタペストリー。それが「住まい」です。それは、単なる家屋ではありません。可能な限りの無条件の愛を育みながら、生きがいや帰属意識の持てる安らぎの場所、すなわち心のふるさとです。それは、心の奥深くにある記憶を呼び起こします。仮に完全なものでなかったとしても、「住まい」の力はドラマチックです。
視点を変える
妻は早起きで、家族が起きてくるまでの静かな時間に、聖書を読んだり祈ったりします。あるとき、いつもの椅子に座って朝の日課を始めようとすると、正面のソファーは「誰かさん」が昨晩、テレビでフットボールの試合を見たときのままでした。そのひどい散らかりように苛立ち、さわやかな朝の気分が台無しになりそうでした。