バーモント州に住んでいたころ、ある夏の主日の夕拝で、若い宣教師が話をしました。彼ら夫婦が派遣された国には宗教対立があり、子どもを連れていくのは危険すぎました。それで娘を寄宿学校に託したのですが、置いていかないでとすがられ、胸がかきむしられるようだったと話しました。

私は当時、長女を与えられたばかりで、その話に憤慨し、「子どもを愛しているなら、子どもをそんな風に置いていけるわけがない」と思いました。話が終わる頃には非常に感情的になっていて、その宣教師と交わることもせず、すたすたと教会を出ていきながら、声を出して言いました。「本当によかった、僕はあんなふうでなくて…。」

その瞬間、聖霊に止められてひやりとしました。もう少しで、パリサイ人と同じこと、「神よ。私はほかの人々のよう…ではないことを、感謝します」(ルカ18:11)を言うところでした。私は、自分にがっかりしました。神もきっと、がっかりされたことでしょう。

その日を境に、私は祈りつづけています。「人の辛い打ち明け話に、謙遜と自制をもって耳を傾けられますように。神よ、どうか助けてください」と。