人生の暗闇で
チャールズ・ホイットルシーは、第一次世界大戦で「ロスト・バタリオン」と呼ばれた部隊の隊長で、英雄の中の英雄でした。彼の部隊は敵軍に囲まれながら勇敢に戦い、その功績により勲章を授与されました。無名兵士の墓地が造られたときには、最初に埋葬される兵士の棺を担ぐ大役を任されました。ところがその2週間後、大型客船から飛び降りて、入水自殺を図ったと言われています。
トゲの例え話
ジェイ・エリオットの動揺した顔が、今でも目に浮かびます。もう50年ぐらい前のことですが、私は蜂の群れに襲われて、彼の家に飛び込んでいきました。そして、家を突き抜けて裏に出ると、蜂はいなくなっていました。つまり、蜂をジェイの家に残してきました。おやっと思うやいなや、今度はジェイが蜂に追われて出てきました。私は10カ所以上刺されましたが、大事には至りませんでした。とばっちりを受けたジェイは、1~2カ所刺されただけでしたが、アレルギー反応が起こりました。目や喉がひどく腫れ上がり、痛みも伴いました。私の行動によって、友人は多大な痛みを被ったのです。
作り話か冒険物語か
祖父は「お話」を語って聴かせるのが好きで、私はそれを聞くのが好きでした。祖父の「お話」にはふたつのタイプがありました。ひとつは「作り話」です。これは真実の片りんはあるけれども、聞くたびに話が少しずつ変化しました。もうひとつは「冒険物語」です。これは本当の話で、何度聞いても、内容はまったく変わりませんでした。
父がイエスに出会った日
私の祖父や父、叔父たちは強く頑固な男たちで、当然のことながら、押しつけがましく伝道する人たちを敬遠していました。父のハワードが治療の難しい進行性のがんだと診断された時、私は非常に心配して、あらゆる機会をとらえては、父にイエスの愛について話しました。ところが父は私を尊重しながらも、「知る必要のあることは知っている」ときっぱり言って、この種の会話を終わらせました。
大暴落
世界大恐慌から何年も経っていましたが、米国の株式市場は投資家の信頼を回復できずに苦闘していました。そんな1952年のことです。ハリー・マーコビッツは、異なった業種や銘柄の株式に分散投資するように投資家たちに提案しました。彼はポートフォリオ選択論を打ち出して、株式市場の不安定な時期に投資家を助けました。マーコビッツは、この理論の功績において、他の2名とともに1990年にノーベル経済学賞を受賞しました。
永遠の約束
古代の中近東では、上位の者(王や領主)と下位の者(臣民)の間で結ばれる盟約を「宗主条約」と呼んでいました。批准の儀式には動物のいけにえが用いられました。その動物を真っ二つに切って、その二つの間に通路を作るように並べます。そして宗主(王や領主)は、その間を歩きました。彼はこうして協定を守ること、守れなければこの動物のようになることを承知していると公に宣言しました。
愛することを学ぶ
ノルウェーの宣教師ハンス・エーゲデは1721年、グリーンランドに赴きましたが、先住民イヌイット族の言語が分かりませんでした。彼は時として威圧的で、人に優しくすることができませんでした。
愛するために愛される
ヒトラー政権下のドイツにあって、ディートリッヒ・ボンヘッファーの生活は、日々、危険と隣り合わせでした。しかし、彼は亡命せずに母国に留まりました。考えるに、使徒パウロと同じ気持ちだったのでしょう。つまり、自分の心からの願いは天の御国に行くことだけれども、自分が必要とされている場所に留まることが、目下の神のみこころだと信じているという気持ちです(ピリ1:21)。そして、彼はドイツに留まり、牧師として秘密礼拝を行い、ヒトラーの悪政に抵抗しました。
黙るペン
アメリカの第33代大統領のハリー・トルーマンには、ある規則がありました。怒って書いた手紙は、24時間机の上に置いてからでなければ郵送してはならない、というものです。この冷却期間が終わってもなお同じ気持ちなら、その手紙は郵送されました。人生の最後を迎えたとき、机の大きな引き出しは、送られなかった手紙でいっぱいでした。