貴重な賛美
私は文筆活動で神を礼拝し、神に仕えています。病気で動けなくなってからは、なおさらそうです。ですから、書いた物を酷評されたときは落胆し、自分の小さなささげ物の価値を疑いました。
御霊の実が溢れる
隣の家との仕切りのフェンスにブドウの蔓が巻きついて上っていき、大きな房をつけます。庭には紫色のプラムやふっくらとしたオレンジのぶら下がる木があります。私たち夫婦は農作業をしませんが、隣の夫婦が収穫を分けてくれます。彼らは丹精込めて作物を育て、収穫の分け前で私たちを喜ばせてくれます。
罪は赦された
子どもの頃、友だちを誘って近所のギフトショプに行きました。すると彼女は、クレヨン形の髪留めをつかんで私のポケットに押込み、店の外に引っ張り出したのです。私は罪の意識に一週間苦しみ、ついに母に泣いて打ち明けました。私は友だちに逆らえなかったことを後悔し、盗んだ品物を返して謝り、二度と万引きをしないと誓いました。店の人は二度と来るなと言いましたが、母は赦してくれました。過ちを正すために最善を尽くしたと母が言ってくれたので、私は安心して床につきました。
神の愛を反映する
がんで闘病中の母を看病しました。母の毎日にはイエスとともに過ごす時間がありました。どんなに体調が悪くても、毎朝、聖書を読み、色々な人たちのために祈りました神を頼り、人に親切にし、人のために祈ったり、人を励ましたりしたいと願う姿は、母の信仰を物語っていました。天に召される日まで、神の愛を周りの人々に伝えましたが、自分の顔が主の恵みを映してどれほど照り輝いているのかは分かりませんでした。
隔てを壊す
原稿の締め切りが近いのに、朝の夫婦喧嘩のことが気になり、パソコンを叩く指も止まったままです。「主よ、夫も悪かったのですよ」とつぶやくと、画面が暗くなり、自分のしかめっ面が映りました。私の自我が仕事を遅らせているだけでなく、夫婦の関係や、神との関係を傷つけていました。私はプライドを捨て、電話で夫に謝りました。夫も謝ってくれたので一件落着。神に感謝しました。締め切りにも間に合いました。
みことばで心を満たす
息子のザビエルが3歳ぐらいの頃、家族で水族館に行きました。私は入口の天井に吊ってある彫刻を指して「ほら、ザトウクジラよ」と教えました。ザビエルは目をまん丸くして「巨大だ!」と言いました。夫は振り向いて「何でそんな言葉を知っているのだろう」と尋ねましたが、私は肩をすぼめて「私たちの会話を聞いていたのかしら?」と言い、こんなに小さい子どもが、教えられてもいない言葉を覚えていることに驚きました。
神の慰めをあかしする
友人の自作の器が配送中に壊れ、大小の破片や土の粉になりました。私は夫に破片をくっつけてもらい、飾り棚に並べました。この器のように、私にも傷跡があります。それは、神が許された試練を乗り越えて立っていることを証明する傷です。この器を見ると心が癒されます。そして、神が私をどう取り扱われたかを分かち合うことが、今、苦難の中にある人々の助けになると今また、教えられました。
無益な行いは何もない
慢性痛で歩けなくなり、うつとの戦いも3年目に入って、「私の身体はもうボロボロ。誰の役にも立たないみたい」と、友人に打ち明けました。すると、彼女は優しく「私が笑顔で挨拶しても、あなたの話に耳を傾けても、何の役にも立たない?あなたのために祈ったり、優しくしたりしても何の役にも立たないの?」と言いました。「もちろん、そんなことは無いわ」と答えると、彼女は「だったら、どうしてそんなことを言うの。あなたは、私や他の人のために笑顔で言葉をかけたり、祈ったりしているでしょう。」神のためにするなら無益なことは何もありません。それを思い出させてくれて、神に感謝しました。
あわれみの期待
友人が良くない選択を繰り返すので困っていると祈りのパートナーに話すと、彼女は「私たち皆のために祈りましょう」と優しく言いました。「私たち?」と眉をしかめると、彼女は答えました。「ええ。あなたはイエスの聖(きよ)さが私たちの物差しだといつも言うでしょ。それなら、自分の罪と他人の罪を比較すべきでないわ。」私は「痛いことを言うわね。でも正しい。私の上から目線や霊的プライドも、同じように罪だもの」と答えました。そして、彼女のことを話しているのだから、私たちは陰口を言っている…それは罪だ、と気づき、私は「どうぞ祈って。私たちみんなのために」と頭を垂れながら言いました。