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Xochitl Dixon

Xochitl Dixon

ソーチル・ディクソン氏は、読者が神の恵みを喜んで受け入れ、キリストとの関係や人間関係を築くために励まし、支えることを目指します。執筆や講演活動をする中、xedixon.comにてブログを公開しています。趣味は歌を歌うこと、読書、写真撮影等です。また、一番の親友であり夫のW.アラン・ディクソンSr博士との結婚生活や子育ての毎日を楽しんでいます。(注:サイトは英語のみ)

寄稿一覧 Xochitl Dixon

神の愛を反映する

がんで闘病中の母を看病しました。母の毎日にはイエスとともに過ごす時間がありました。どんなに体調が悪くても、毎朝、聖書を読み、色々な人たちのために祈りました神を頼り、人に親切にし、人のために祈ったり、人を励ましたりしたいと願う姿は、母の信仰を物語っていました。天に召される日まで、神の愛を周りの人々に伝えましたが、自分の顔が主の恵みを映してどれほど照り輝いているのかは分かりませんでした。

隔てを壊す

原稿の締め切りが近いのに、朝の夫婦喧嘩のことが気になり、パソコンを叩く指も止まったままです。「主よ、夫も悪かったのですよ」とつぶやくと、画面が暗くなり、自分のしかめっ面が映りました。私の自我が仕事を遅らせているだけでなく、夫婦の関係や、神との関係を傷つけていました。私はプライドを捨て、電話で夫に謝りました。夫も謝ってくれたので一件落着。神に感謝しました。締め切りにも間に合いました。

みことばで心を満たす

息子のザビエルが3歳ぐらいの頃、家族で水族館に行きました。私は入口の天井に吊ってある彫刻を指して「ほら、ザトウクジラよ」と教えました。ザビエルは目をまん丸くして「巨大だ!」と言いました。夫は振り向いて「何でそんな言葉を知っているのだろう」と尋ねましたが、私は肩をすぼめて「私たちの会話を聞いていたのかしら?」と言い、こんなに小さい子どもが、教えられてもいない言葉を覚えていることに驚きました。

神の慰めをあかしする

友人の自作の器が配送中に壊れ、大小の破片や土の粉になりました。私は夫に破片をくっつけてもらい、飾り棚に並べました。この器のように、私にも傷跡があります。それは、神が許された試練を乗り越えて立っていることを証明する傷です。この器を見ると心が癒されます。そして、神が私をどう取り扱われたかを分かち合うことが、今、苦難の中にある人々の助けになると今また、教えられました。

無益な行いは何もない

慢性痛で歩けなくなり、うつとの戦いも3年目に入って、「私の身体はもうボロボロ。誰の役にも立たないみたい」と、友人に打ち明けました。すると、彼女は優しく「私が笑顔で挨拶しても、あなたの話に耳を傾けても、何の役にも立たない?あなたのために祈ったり、優しくしたりしても何の役にも立たないの?」と言いました。「もちろん、そんなことは無いわ」と答えると、彼女は「だったら、どうしてそんなことを言うの。あなたは、私や他の人のために笑顔で言葉をかけたり、祈ったりしているでしょう。」神のためにするなら無益なことは何もありません。それを思い出させてくれて、神に感謝しました。

あわれみの期待

友人が良くない選択を繰り返すので困っていると祈りのパートナーに話すと、彼女は「私たち皆のために祈りましょう」と優しく言いました。「私たち?」と眉をしかめると、彼女は答えました。「ええ。あなたはイエスの聖(きよ)さが私たちの物差しだといつも言うでしょ。それなら、自分の罪と他人の罪を比較すべきでないわ。」私は「痛いことを言うわね。でも正しい。私の上から目線や霊的プライドも、同じように罪だもの」と答えました。そして、彼女のことを話しているのだから、私たちは陰口を言っている…それは罪だ、と気づき、私は「どうぞ祈って。私たちみんなのために」と頭を垂れながら言いました。

永遠の花

息子のザビエルは幼い頃、母親に花をあげるのが大好きでした。摘みたての雑草もパパと店で買ってくれた花も、母である私は喜んでもらい、枯れるまで部屋に飾っていました。そんな ある日、ザビエルは美しい造花の花束をくれました。ガラスの花瓶に入った布製の黄色いヒマワリ、白いカラー、紫色のアジサイです。そしてにっこり笑って「ママ、この花は永遠に枯れないよ。僕もママを永遠に愛しているよ」と言いました。

赦すべきか

教会堂の掃除に行くと向こうで泣いている人がいました。私に意地悪をしたことのある人です。それで、気づかない振りをして掃除機をかけました。嫌われているのに声をかける必要は無いでしょう。しかし自分がどれだけ神に赦されたのかを思い出し、聖霊に促されてそばに行くと、彼女の赤ちゃんが何か月も入院していると言うのです。私たちは抱き合って泣き、赤ちゃんのために祈りました。そして今では性格の違いを乗り越えて仲良くなりました。

みこころがなるように

白血病と闘う母を自宅で介護し看取ることができて、神に感謝しています。薬の効果が薄れ副作用に苦しめられるようになると、母は「もう十分。最期は家族と穏やかに過ごしたいわ。神のみもとに行く準備はできているのだから」と言いました。