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Xochitl Dixon

Xochitl Dixon

ソーチル・ディクソン氏は、読者が神の恵みを喜んで受け入れ、キリストとの関係や人間関係を築くために励まし、支えることを目指します。執筆や講演活動をする中、xedixon.comにてブログを公開しています。趣味は歌を歌うこと、読書、写真撮影等です。また、一番の親友であり夫のW.アラン・ディクソンSr博士との結婚生活や子育ての毎日を楽しんでいます。(注:サイトは英語のみ)

寄稿一覧 Xochitl Dixon

不朽の希望

ソロモンは、4歳の時、デュシェンヌ型筋ジストロフィーという筋肉の機能が衰えていく病気にかかりました。1年後には車椅子を勧められましたが、ソロモンは嫌がりました。家族や友人たちは祈り、なるべく長い間、車椅子なしで行動できるようにと、寄付を募って介助犬を飼うことにしました。私の介助犬カリーを訓練したのはテールズフォーライフという補助犬育成団体ですが、そこが今、ソロモンの介助犬となるワッフルを訓練しています。

共により良く

働くシングルマザーのマリーが、礼拝や聖研を欠席することはめったにありません。毎週、5人の子どもとバスで来て、準備や後片付けの手伝いもします。ある日、数人の教会員からの贈り物がある、と牧師に言われました。ある夫婦は、安い家賃で家を貸すと申し出ていました。別の夫婦は、経営するカフェの社会保険付きの仕事を紹介しました。ある青年は、整備済み中古車を将来の整備と合わせて提供しました。マリーは、神と人に尽くし合う共同体で生きる喜びを神に感謝しました。

喜びの理由

礼拝の後、グレンダが部屋に入ってくると、辺りが喜びで満たされたようでした。彼女は大きな病気を克服したばかりです。こちらに向かってくる姿を見て、主に長年の交わりを感謝しました。彼女はいつも共に泣き、間違いを優しく指摘し、励ましてくれました。私の気持ちを傷つけたかもしれないと思ったときは、きちんと謝ってくれました。私にとって、己の葛藤を正直に話せ、神を賛美する多くの理由があると思い出させてくれる人です。

悲しみと感謝

母が亡くなったとき、がん病棟の患者の1人が、私に話しかけ「お母様には、とても親切にしてもらいました。私が先に死ぬはずだったのに……」と言ってすすり泣きました。

天国で再会

母の帰天を知らせようとしたとき、「死」という言葉は、天国で再会する希望にふさわしくないと感じました。それで「母はイエスの御腕の中に迎えられました」と書きました。それでも、家族写真に母が写っていないと、悲しみがこみ上げてきます。ところが最近、亡くなった人を含めて家族の肖像画を描いてくれる画家を見つけました。その人は、先に逝った家族の写真を使い、その人たちの姿を絵に描き入れるのです。天国で再会する神の約束が、絵筆によって表されます。私は、傍らで微笑んでいる母の姿を思って、感謝の涙を流しました。

愛の絆の内に

母を看病するために、家族や友人から遠く離れた町のがん治療センターにやってきました。心細く不安でしたが、荷物を運ぼうとした時、笑顔の素敵な人が助けてくれました。フランクです。母のいる6階に着く頃には、彼に付き添う妻のロリにも会おうと決めていました。私たちはすぐに打ち解け、家族のようになりました。共に神を仰ぎ、互いに頼り合いました。一緒に笑い、愚痴を言ったり、​​泣いたり、共に祈ったりしました。ホームシックを感じながらも、私たちは、支え合う中で、愛の絆を深めていきました。

光り輝き漂う

サンディエゴの海岸で、2020年、サーファーたちは夜間に光る波に乗っていました。光の正体は、発光する植物プランクトンです。それは水中を浮遊し、日中は赤褐色の帯ですが、光合成をしてエネルギーを蓄え、夜間になると青白い光を放ちます。

自然を守る責任

夫婦で旅行に行き、浜辺を散歩していると、仮設の柵で仕切られている大きな正方形の砂地がありました。それはウミガメの卵を守るためだそうです。ボランティアが24時間体制で働いていると若い男性が説明してくれました。ふ化したばかりの亀の子が巣から出てくると、動物と人間の両方が、生存の脅威です。「私たちの懸命な努力にもかかわらず、科学者の推定によると、5千匹の子亀の内、成体になるのは1匹だけだそうです」と言いました。しかし、彼はこの暗い予測にもめげません。亀を守ろうという彼の情熱は、私の心を動かしました。私は今、ウミガメのペンダントを着けています。神の被造物を世話するという私たちに課された責任を忘れないためです。

信仰の筋トレ

動物園に行ったとき、ナマケモノのおりのそばで休憩しました。ナマケモノは逆さにぶら下がって動かず満足そうです。私は溜息をつきました。私は健康上の理由から、じっとしていると辛く、せかせかと動かないわけにはいかないのです。そして、常に疲れている自分にうんざりしています。しばらく眺めていると、ナマケモノは、片方の腕を伸ばして近くの枝をつかみ、また動かなくなりました。静止には筋力が必要です。もし私が、ナマケモノと同じくらいゆっくり動いたり、じっとしていようとしたりしたら、相当な筋力がいるでしょう。辛い日、憂うつな日、私が神を信頼するには、超自然的な力が必要なのです。