取るに足りない
有力者や実力者といわれる人は成功の階段を上っている人で、周りの人を動かす影響力を持っています。ルカの福音書3章には、当時の社会を支配していた7人の実力者が登場します。まず、皇帝テベリオ・カエサルは、広大なローマ帝国に暮らす人々の生死を手中に収めていた人です。ポンテオ・ピラトは、ローマ帝国の権威をユダヤ全土に示す総督でした。ヘロデ、ピリポ、そしてルサニヤは、それぞれの所轄地域の人々を治めていました。アンナスとカヤパは大祭司で、自分の持つ宗教的権威をよく分かっていました。
どんな人になるか
私の故郷は小さな町で、著名人はいませんし、華やかな場所もありません。これといって、することもない所です。けれども私は、この素朴で静かな土地で育ったことを、いつも感謝しています。
ある夜、私たち夫婦は仕事関係の夕食会に出席したのですが、そこで初対面の人に、出身地はどこかと尋ねられました。その人は私の答えを聞くと、「そんな場所の出身だなんて恥かしいですよね」と言いました。彼女が本気なのか冗談を言っているのかは分かりませんでしたが、私は「いいえ」とだけ答えました。
私の故郷は洗練された町ではないので馬鹿にされたのかもしれませんが、なくてはならないものはきちんとありました。町には教会があって、私の両親は「主の教育と訓戒によって」(エペ6:4)私たちを育ててくれました。
イエスもナザレという小さな町で育ちました。ナタナエルという男は「ナザレから何の良いものが出るだろう」(ヨハ1:46)と言いましたが、そこからイエスが出られたのですから、「いいえ、出ます」が正しい答えです。イエスの故郷は、取るに足らない集落だったかもしれませんが、イエスは歴史上で最も重要な人になりました。
どこで育つかが問題ではなく、どう育つかが問題だということは、個人的な経験からも、聖書の記述からも明らかです。出身地を比べられて落ち込むこともあるかもしれませんが、私たちは神にとって大切な人です。神は私たちを霊的に強め、神の知恵で満たしてくださいます。