責任のなすり合い
ジェニーは夫が不貞をはたらき、その女性と結婚したとき、相手の女性には決して会わないと心に誓いました。けれども、自分の恨みが子どもたちの父親との関係に悪影響を及ぼしていることに気づくと、状況を変えることはできなくても、恨みを乗り越えることはできると思いました。そして、最初の一歩を踏み出せるようにと神に祈りました。
外見は魅力的、中身は有害
◆ 詩篇82-84
オーストラリアで調査したところ、タバコの箱のデザインが質素であればあるほど、十代の若者は喫煙を魅力的だとは思わないという結果が出ました。これを受けてオーストラリア政府は、タバコの箱に関する法律を制定しました。
忙しすぎる
◆ イザヤ書41-42
◆ Ⅰテサロニケ1
飛行機の搭乗を待っていたとき、私が牧師だと小耳に挟んだ人が、話しかけてきました。彼はキリストを信じる前の人生について語り、それは「罪と自己陶酔」の日々だったと言いました。しかし、彼はイエスと出会ったのです。そして、自分の生活がどれほど変わり、どれほどの奉仕をしてきたかも語ってくれました。それは興味深い話でした。しかし、彼の話は、神のために非常に多忙だったということで、神と非常に親しく交わってきた、というものではありませんでした。それで、「先生、正直なところ、なぜ、こんなにも心が満たされていないのだろうと思うのです」という質問には、少しも驚きませんでした。
選択の自由
◆ イザヤ書30-31
◆ ピリピ4
米国最大の大学フットボールの試合が、2011年にはユダヤ教の大切な祭り、ヨム・キープルに行われることになりました。それを知ったテキサス大学の学生会は、大学側に日程を変えるようにと嘆願しました。長年の宿敵オクラホマ大学との試合の応援に行くか、それとも大切な聖日を守るかという二者選一を、ユダヤ教徒の学生に迫るのは不公平だからというのがその理由でした。しかし、試合の日程は変わりませんでした。宗教の自由が認められている社会で暮らしていても、各人の信仰が試され、難しい選択を迫られることは必ずあるものです。
苦労と成果
◆ Ⅰサムエル記30-31
◆ ルカ13:23-35
悪者には心の痛みが多い。しかし、主に信頼する者には、恵みが、その人を取り囲む。―詩篇32:10
あるフットボールチームが夏期合宿をしたとき、コーチたちは選手を叱咤激励することばをプリントしたTシャツを着ていました。それは「毎日、どちらかを選ばなければならない。練習のつらさか、後悔の痛みか」というものです。訓練はつらいものです。さぼりたいと思うこともありますが、スポーツでも人生でも、つらくても短い期間頑張ることが、長い目で見れば成果を上げる唯一の道です。戦闘に巻き込まれてから準備をしても手遅れです。人は、人生の試練に対する準備が整っているか、それとも準備を怠って「もし、…たら、どうしよう」とか「…していればよかったのに」と、不安や後悔にさいなまれてばかりいるか、そのどちらかです。これが後悔の痛みというものです。