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追いつめられて

1年で聖書を!
◆ 詩篇97-99
聖書のみことば ルカ6:27-36
 
あなたを侮辱する者のために祈りなさい。―ルカ6:28

子どもたちを日曜学校に連れて行くために、有名な伝道者D.L.ムーディーは、シカゴのある地区にやって来ました。すると、3人の男たちに家に連れ込まれ、部屋の隅に追い込まれて脅迫されました。「ちょっと待ってくれ」とムーディーは言いました。「祈ってもいいだろう?」男たちはムーディーの願いを聞き入れたので、彼は彼らのために熱心に祈りました。

介護食を求めて

1年で聖書を!
◆ 詩篇94-96
聖書のみことば ヨハネ6:42-51
 
わたしを遣わした父が引き寄せられないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできません。―ヨハネ6:44

ジェームスは心臓病と診断され、妻ベッキーも高齢です。夫の世話どころか、自分の世話さえ困難です。それで、介護付きの住宅を探し始めました。見学の際の質問は、「介護食はありますか」でした。ジェームスは食べ物を飲み込むことが難しかったのです。いくつかのホームを訪問しましたが、思わしい回答はありませんでした。

いつでも、どこからでも

1年で聖書を!
◆ 詩篇91-93
聖書のみことば マタイ9:35-38
 
イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え―マタイ9:35

この数年間、私はネパールに住む牧師と文通をしていますが、彼は教会のクリスチャンたちと一緒に遠いヒマラヤの町や村まで出向いていって、伝道をしたり、教会開拓をしたりしています。最近、翌週の旅程表が送られてきました。祈って欲しいということでした。

証をするべきでない時

1年で聖書を!
◆ 詩篇85-87
聖書のみことば マタイ26:57-64
 
イエスは黙っておられた。それで、大祭司はイエスに言った。「……あなたは神の子キリストなのか、どうか。その答えを言いなさい。」―マタイ26:63

私の住むアメリカ北東部ニューイングランド地方では、誰もが熱狂的なプロ野球ファンです。例えば、ボストン・レッドソックスの話を就業中にするのが社則に反していたとしましょう。それでも、ファンは話さずにはおれません。それほどレッドソックスを愛しています。

たくわえる

1年で聖書を!
◆ 詩篇73-75
聖書のみことば 詩篇119:9-16
 
あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました。―詩篇119:11

私が生まれたとき、曾祖父エイブラム・ヘスはすでに視力を失っていました。彼は旋盤を使って美しい木工作品を作ることで有名でした。また、聖句をよく引用することでも知られていました。彼と友人のイーライは、よく互いにみことばをやりとりしていました。

素晴らしい創造物

1年で聖書を!
◆ 詩篇67-69

聖書のみことば 詩篇139:1-16

私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。―詩篇139:14

子どもの頃、「おまえはなんでそんなにバカなんだ」とよく言われました。私にやる気を起こさせようとして言ってくれたのですが、実際は、私の心に暗い影を落としていました。それが分かったのは、10代になったある日のことです。「バカ!」と言う声が背後から聞こえるやいなや、自分のことかしらと思ってすぐに振り向いてしまいました。

失うこと、見つけること

1年で聖書を!
◆ 詩篇64-66
聖書のみことば ルカ15:4-10
 
なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください。―ルカ15:9

先日、クレジットカードが見当たらなくて大騒ぎをしました。クレジットカードの紛失は一大事です。誰かに拾われて悪用される危険性は言うまでもありませんが、その他にも、自動支払いや日々の買い物など、カードが再発行されるまで色々と不便が生じます。パソコン机の下に落ちていたカードを妻が見つけてくれたときには、どんなに安堵したことでしょう。

ライオンでもある小羊

1年で聖書を!
◆ 詩篇61-63
聖書のみことば 黙示録5:1-12
 
イエスの御名によって、……すべてが、ひざをかがめ、すべての口が「イエス・キリストは主である」と告白して、―ピリピ2:10-11

ユダ族から出た獅子(黙5:5)、ほふられた小羊(6節)と、使徒ヨハネはヨハネの黙示録5章でイエスを描写しました。この描写についてチャールズ・スポルジョンは、「なぜ、私たちの高貴な主が栄光の中に傷ついた姿で現れなければならないのだろう」と自問しました。その答えは「イエスの傷がイエスの栄光なのだ」でした。

最高の教師

1年で聖書を!
◆ 詩篇58-60
聖書のみことば 詩篇1
 
幸いなことよ。悪者のはかりごとにあゆまず、―詩篇1:1

若者たちと将来について話すと、「世の中に出て行って悪い人と付き合ったり、世俗的な状況に身を置かない限り、人間として成長することはできない」という人がいます。このような考え方に飲み込まれ、信仰から離れてしまった未熟なクリスチャンは少なくありません。