人生は危険な冒険です。成功を収めることもありますが、深い落胆も味わいます。失敗という現実におびえて、将来に価値を見いだせず、心がさまようこともあります。
私たちは警告文に取り囲まれて暮らしています。薬の箱には「服用上の注意」、缶入スープには「賞味期限」、電動のこぎりの「警告」などは、利用者に危険がおよばないように注意を促しています。最近、ある人から贈答品が送られてきましたが、その箱にも「こわれもの!取扱注意」と書かれた大きな赤いステッカーが貼ってありました。
私の集う教会では「この部屋には」という歌をよく賛美します。その歌の出だしは「この部屋には、私のような者にも有り余るほどの愛がある」です。みんなで礼拝に集い賛美をするなら、クリスチャンは励まされます。けれども、本当に大切なことは、礼拝の場にキリストがおられるということです。
米国の作家スティーヴン・ヴィンセント・ベネによって書かれた「悪魔とダニエル・ウェブスター」という短編小説があります。登場人物のジャベズ・ストーンは、ニューイングランド地方の農夫でしたが、金持ちになるために悪魔に魂を売ってしまいました。
アメリカ合衆国の大統領に初めて選ばれた1933年の就任演説で、フランクリン・ルーズベルトは、大恐慌に動揺していた国民に語りかけました。経済危機に負けない楽観的な見方を盛り立てようと「我々が唯一恐れなくてはいけないのは、恐れそのものだ」と述べたのです。
子どもに先立たれた親のひとりとして多くのエッセーを書いているので、同じ苦しみを背負って頑張っている人たちを紹介され、語り合うことがよくあります。最近知り合った女性は、21歳の娘さんを2009年に突然亡くされました。彼女は「私は世の中から見放されたように感じています。本当にショックで、とてもつらいのです」と言われました。
ダビデは「ああ、私に鳩のように翼があったなら。そうしたら、飛び去って、休むものを」と、ため息をつきました(詩55:6)。私だったら、アイダホのソートゥース山脈に山小屋を建ててこもりたいとか、どこか景色の良い山の頂で一日中過ごしたいと思うでしょう。人生の重荷を背負ったとき、どこかに飛んで行って休みたいと、私も強く願います。
私の友人は、コンピューターの技術者です。ある晩、家族で彼の家を訪れると、「私は自分の目と契約を結んだ」(ヨブ31:1)という聖書のみことばが、PCモニターにテープで貼られていました。それを見て、長時間、ひとりきりでパソコンを操作する危険性を彼が理解しているのは明らかだと思いました。
ハロルドとキャシーとふたりの息子は、ミネソタ州の森林で竜巻に遭遇しました。数年後、キャシーはその体験を話してくれました。