Category  |  試練

準備しよう

1年で聖書を!
◆ Ⅰ列王記5-7
聖書のみことば ローマ5:1-11
 
今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、―ローマ5:9

娘のメリッサは同年代の子どもと同じように、大人になる準備に励んでいました。学校では大学進学を目指すコースに入って、大学入学適性試験の申し込みも済ませました。大人になるためには学業の他にも必要な学びがあります。例えば、対人関係のスキルです。

再会を待ち望む

1年で聖書を!
◆ Ⅰサムエル記21-24
聖書のみことば Ⅰテサロニケ4:13-18
 
生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。―Ⅰテサロニケ4:17

子どもの頃、大きなコリーを飼っていました。私はプリンス・ボーイという名前のその犬を大変可愛がっていました。ところがある日、その犬はいなくなってしまいました。盗まれたのか、逃げ出したのかわかりません。私はとても悲しみました。

受け止めてくれる人

1年で聖書を!
◆ Ⅰサムエル記1-3
聖書のみことば ヨハネ14:1-6
 
わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。―ヨハネ14:3

人生は危険な冒険です。成功を収めることもありますが、深い落胆も味わいます。失敗という現実におびえて、将来に価値を見いだせず、心がさまようこともあります。

取扱注意

1年で聖書を!
◆ 士師記1-4
聖書のみことば 詩篇90:1-12
 
私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてください。―詩篇90:12

私たちは警告文に取り囲まれて暮らしています。薬の箱には「服用上の注意」、缶入スープには「賞味期限」、電動のこぎりの「警告」などは、利用者に危険がおよばないように注意を促しています。最近、ある人から贈答品が送られてきましたが、その箱にも「こわれもの!取扱注意」と書かれた大きな赤いステッカーが貼ってありました。

この部屋には

1年で聖書を!
◆ ヨシュア記16-18
聖書のみことば ヨハネ20:19-29
 
戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って、「平安があなたがたにあるように」と言われた。―ヨハネ20:26

私の集う教会では「この部屋には」という歌をよく賛美します。その歌の出だしは「この部屋には、私のような者にも有り余るほどの愛がある」です。みんなで礼拝に集い賛美をするなら、クリスチャンは励まされます。けれども、本当に大切なことは、礼拝の場にキリストがおられるということです。

法廷の悪魔

1年で聖書を!
◆ 申命記32-34
聖書のみことば ゼカリヤ書3:1-5
 
わたしは、あなたの不義を除いた。―ゼカリヤ書3:4

米国の作家スティーヴン・ヴィンセント・ベネによって書かれた「悪魔とダニエル・ウェブスター」という短編小説があります。登場人物のジャベズ・ストーンは、ニューイングランド地方の農夫でしたが、金持ちになるために悪魔に魂を売ってしまいました。

恐れに対する解決法

1年で聖書を!
◆ 申命記13-16
聖書のみことば 詩篇34:1-10
 
私が主を求めると、主は答えて下さった。私をすべての恐怖から救い出してくださった。―詩篇34:4

アメリカ合衆国の大統領に初めて選ばれた1933年の就任演説で、フランクリン・ルーズベルトは、大恐慌に動揺していた国民に語りかけました。経済危機に負けない楽観的な見方を盛り立てようと「我々が唯一恐れなくてはいけないのは、恐れそのものだ」と述べたのです。

打ちのめされた

1年で聖書を!
◆ 申命記1-3
聖書のみことば 詩篇116:1-6
 
神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。―詩篇46:1

子どもに先立たれた親のひとりとして多くのエッセーを書いているので、同じ苦しみを背負って頑張っている人たちを紹介され、語り合うことがよくあります。最近知り合った女性は、21歳の娘さんを2009年に突然亡くされました。彼女は「私は世の中から見放されたように感じています。本当にショックで、とてもつらいのです」と言われました。

鳩の翼

1年で聖書を!
◆ 民数記28-30
聖書のみことば 詩篇55:4-22
 
ああ、私に鳩のように翼があったなら。そうしたら、飛び去って、休むものを。―詩篇55:6

ダビデは「ああ、私に鳩のように翼があったなら。そうしたら、飛び去って、休むものを」と、ため息をつきました(詩55:6)。私だったら、アイダホのソートゥース山脈に山小屋を建ててこもりたいとか、どこか景色の良い山の頂で一日中過ごしたいと思うでしょう。人生の重荷を背負ったとき、どこかに飛んで行って休みたいと、私も強く願います。