津波のあとで

津波のあとで

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計画すべき時

第一コリント16章1~14節は、ささげものを受け取り、それを使うことにおいていいかげんであってはならないことを示しています。この原則は救援活動と復興活動の働きにも当てはまります。箴言には、戦いをするには良い計画と、助言を得てすぐれた戦略を立てることが必要だと書いてあります(箴言20:18、24:6)。これは私たちが今行っている、人々の必要に応えるという「戦い」に当てはまります。十分な計画がなくては、多くの時間と労力、物資と資金が無駄になりかねません。必要のある多くの人々のもとに届くべき物資が届かなかったり、ある人々のもとに必要以上のものが与えられたりしてしまいます。これはすべて計画不足のためです。

計画を立てることは、緊急の救援活動から次の復興再建の段階へと移るにあたって、特に必要とされます。小さなグループは、他の団体と協力関係を持つのが賢明かもしれません。他の教会やグループと一緒に働くことは、私たちがキリストにあって持っている一致を証する素晴らしい機会です。

教会には意欲のある有能な人々が多くいます。救援復興活動に対する資金と専門技術を持ってはいても、十分な人手のない専門家グループにとって、教会は重要な人材の供給源となるでしょう。これは伝道者の書4章9節で教えられている原則が当てはまる例のひとつです。「ふたりはひとりよりもまさっている。ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。」自分たちだけで最善の働きができると言えるほど、私たちは整えられてはいないし、知識を持っているわけでもないでしょう。このような場合、他の人たちと協力することは、私たちにとって賢明なことです。

今は、教会とのつながりを持たない他のグループを助けることで、国に対する私たちの忠誠を示すべき時でもあるでしょう。私たちはふたつの世界に国籍を持つ者です。私たちはどちらの世界で何をするにも、それを神とその栄光のために行います(Ⅰコリント10:31)。私たちが俗に言う「この世の」組織においてする仕事であっても、それは神のためになすべきです。私たちが自分の仕事を大切だと分かるのは、ここで人々に仕えるようにと、神が私たちを神の証人としてそこに置いてくださるからです。この同じ原則は、近隣のグループや政府によって行われている救援復興プロジェクトを通して、私たちが地域に仕える時にも当てはまります。私たちはキリストの証人としてこのようなプロジェクトに関わり、近隣の人々とともに働く機会を生かすべきです。

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2004年12月26日、著者アジス・フェルナンド師の愛する母国スリランカを大津波が襲い、壊滅的な被害を与えました。この小冊子は、神を愛する一市民としての彼の考えをまとめたものです。自然災害などの渦中にいる方、支援に携わる方、そして惨状を覚えて心騒がせているすべての方の助けとなれば幸いです。「私はこの文章を、津波の数日後に書いています。……このような状況になると私たちは、聖書の中に励ましと導きを見つけようとします。そして聖書が、私たちに多くのことを語りかけていることを見出します。この小冊子は、スリランカのクリスチャンたちが今、何をすべきか、ということを聖書に基づいて私なりに考えてまとめたものです。さらに原文を改訂し、津波に限らずどのような惨事に直面している人にも役立つようにと考慮しました。」(本文より)