敬虔の鍛錬
◆ 創世記10-11
―Ⅰテモテ4:8
年の始めには、今年は健康にもっと気をつけようと決意するものです。そして、運動をしたり、食事を見直したり、休みの間に増えた体重を落とそうとしたりします。「肉体の鍛錬もいくらかは有益」(Ⅰテモ4:8)とパウロが言っているので、できるだけ頑張ろうと奮闘しています。油物は控えようとしていますが、やっぱりフライドチキンは大好きです。散歩やウエイトトレーニングもしていますが、私の身体が持ちこたえる期間はそう長くはないでしょう。体力は衰えてきていますから。
砂の城
◆ エゼキエル書45-46
◆ Ⅰヨハネ2
―ルカ12:34
子どもたちが小さかったころ、冬になると家族を連れて、フロリダの両親のところに帰省しました。ミシガン州は寒いところですから、温暖な気候の地で過ごせることは、何よりの楽しみでした。私は海岸でゆっくり本でも読もうと、心待ちにしていました。ところが、子どもたちにもプランがありました。一緒に砂の城を作ろうというのです。しぶしぶ立ち上がって参加しましたが、気がつくと夢中になっていました。何時間もかけて立派な城を作りましたが、潮が満ちて、私の努力の結晶を流し去るのは時間の問題です。けれども、夢中になっているときは、そんなことは考えもしないのです。
正しいことをなすのみ
◆ エゼキエル書33-34
◆ Ⅰペテロ5
海外を旅していたとき、偶然、同郷の人と知り合いました。その人は弁護士でしたが、話の途中で「スティルウェルさんとおっしゃいましたか?」と言われたので、「いいえ、ストーウェルです」と答えました。すると彼は、自分の顧客のひとりが、スティルウェルさんなのだと言いました。「アート・スティルウェルさんですか?」と尋ねると、驚いたことに「そうです」とのことでした。アート・スティルウェル氏は、私が牧師をしていた教会の会員で、その地域では有力な実業家でした。
旅の道連れ
◆ エゼキエル書5-7
◆ ヘブル12
美しく壮大な景色を眺めながら、アイダホの山道を歩くのが、私は大好きです。歩きながら、トレッキングは人生の象徴だとよく思います。クリスチャンの人生は、主イエスとともに歩むことです。イエスは人生という旅の道連れであり、案内人です。イエスは「わたしについて来なさい」と声をかけて弟子を集め、イスラエルの地を端から端まで歩かれました(マタ4:19)。
一直線に耕す
◆ エレミヤ書40-42
◆ ヘブル4
トラクター初体験の朝です。さわやかな風が畑を吹きぬけ、コオロギが鳴いています。そんな田舎の静寂を、エンジンのごう音が破りました。私は、すきを地面に入れながら畑を耕し、どんどん進んで行きました。計器類に目を配り、ギアをシフトさせ、冷たい鉄製のハンドルをギュッと握って、トラクターのすごい威力に感動していました。しばらくして成果を見ようと振り返ると、目に入ってきたのは思い描いていたまっすぐなラインではなく、蛇行の曲線です。これではがっかりです。