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あれもこれもの国

1年で聖書を!
◆ 出エジプト記35-37
聖書のみことば 黙示録22:1-5
 
私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。―Ⅱペテロ3:13

車の後部座席で、子どもたちが夕食について言い争っているテレビコマーシャルがあります。ひとりはピザが食べたいと言い、もうひとりはチキンだと言いました。助手席のお母さんは「いいえ、ハンバーガーにするわよ」と言っています。

それでも私は喜ぶ

1年で聖書を!
◆ ゼカリヤ書9-12
◆ 黙示録20
聖書のみことば ハバクク書3:11-19
 
しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。
―ハバクク書3:18

この世の人生は楽ではありません。ふと「神はどこにいるのだろう」と思ったことはないでしょうか。不正義が行われているのに神は黙っておられる、と思ったこともあるかもしれません。私たちは、困難に対する応答の仕方を選ぶことができます。預言者ハバククの態度を模範にしましょう。彼は、「喜ぶ」という選択をしたのです。

祝された確信

1年で聖書を!
◆ 箴言13-15
◆ Ⅱコリント5
聖書のみことば Ⅱコリント5:1-10
 
私たちはいつも心強いのです。そして、むしろ肉体を離れて、主のみもとにいるほうがよいと思っています。―Ⅱコリント5:8

妻を亡くした男性が、こんな話をしてくれました。彼は、「奥さまをなくされて本当にお気の毒です」と言われたので、「いえいえ。家内はなくしていませんよ。彼女がどこにいるかは、ちゃんと分かっています」と答えたというのです。

戻って来なさい

1年で聖書を!
◆ Ⅱ列王記15-16
◆ ヨハネ3:1-18
聖書のみことば 詩篇51:1-13

 
あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊が、私をささえますように。―詩篇51:12

アミーリアが病院の待合室で待っていると、良く知っている賛美歌のメロディーがスピーカーから聞こえてきました。それは、「『われに来よ』とイエスきみは」でした。19歳で病身のアミーリアは、その歌詞を思い出して微笑みました。「来よ、来よ」と神が呼びかける歌のメロディーが、重病人のいる病院の待合室で流れているというのは、奇妙だったかもしれません。

花を咲かせるために

1年で聖書を!
◆ ヨシュア記10-12
◆ ルカ1:39-56
聖書のみことばⅠペテロ1:1-9

 
キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。
―Ⅰペテロ4:13

私たちはマンションに住んでいるので、うちの花壇とは屋内の鉢植えのことです。ところが、水や肥料を与えても、当初は花を咲かせませんでした。しばらくすると、花を咲かせるためには、土をほぐしてひっくり返さなければいけないと分かりました。今では、植木鉢の植物は生き生きした葉をつけ、花も咲いて、私の目を楽しませてくれます。

バックミラーに映る

1年で聖書を!
◆ マラキ書1-4
◆ 黙示録22

 
主よ。あなたは、……私を喜ばせてくださいましたから、私は、あなたの御手のわざを、喜び歌います。―詩篇92:4

神の御手の跡はバックミラーに映るように見える、と常々思います。なぜこの家に住んでいるのか。あの人やこの人、あれやこれやの状況が、私の人生に入って来たり、出て行ったりしたのはなぜか。困難や痛みを体験したのは、あの場所に行ったのは、あの仕事が与えられたのはなぜか。人生を振り返って考えると、それらの理由が分かることがあります。

紅葉の理由

1年で聖書を!
◆ イザヤ書39-40
◆ コロサイ4
聖書のみことば 詩篇19:1-6

 
天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。 ―詩篇19:1

秋になると、木の葉が輝く赤や黄色、橙色や栗色に色を変えるのはなぜでしょう。その理由はこうです。葉の緑の色素である葉緑素が、太陽から赤と青の光を吸収するため、木の葉は夏には緑色です。木の葉から反射される光が、人の目には緑色に映るからです。

想像する

1年で聖書を!
◆ イザヤ書30-31
◆ ピリピ4
聖書のみことば ヨハネ14:1-6

 
あなたがたは心を騒がしてはなりません。―ヨハネ14:1

教会の中高生たちが、春の特別愛餐会のために「天国を建設」しました。創造性に溢れた十代の若者たちは、色電球や発泡スチロールなどを使って飾りつけ、教会堂を自分たちの想像する天国に衣替えさせました。

一緒に聖餐にあずかる

1年で聖書を!
◆ イザヤ書17-19
◆ エペソ5:17-33
聖書のみことば Ⅰコリント11:23-26

 
あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。―Ⅰコリント11:26

アメリカの多くの教会は、10月の第1日曜日を世界聖餐主日として聖餐式を行います。これは、世界中の主にある兄弟姉妹とともに聖餐にあずかっていることを心に刻むときです。私にとって、この日を主にある兄弟姉妹とともに迎えることは、大変意味深いことです。