混沌から
何でもよく観察すると、秩序は自然には保てないものだと実感します。自分の事務所を考えても、驚くほどあっという間に乱雑になり、またきれいにするのには、それ相応の時間がかかります。秩序は自然にはできません。秩序を保つには介入が必要です。
荒れ地が美しい庭に
春は、物事が常に目に見えているとおりとは限らないことを悟らせてくれます。すっかり枯れ果てて絶望的にさえ見えたところに、生命が芽吹きます。寒々とした裸の森が、緑豊かな景色に生まれ変わります。
冬の間、着物を求めているかのように裸の腕をのばしていた木の枝たちが、突然、緑のドレスをまといます。しぼんで地面に落ちてしまった草花も、「死んでないぞ」と言わんばかりに、土の中からむっくりと起き出してきます。
聖書にも絶望的な状況が描かれています。そのひとつは、ヨブという裕福な人の話です。ヨブは「潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている」人でした(ヨブ2:3)。その彼を災いが襲い、すべてを奪っていきました。ヨブは苦難の中で「私の日々は…望みなく過ぎ去る」と言いました(7:6)。ヨブも彼の友人も、この災いは神がヨブに罰を当てたのだと考えましたが、それは全くの間違いでした。神は、ヨブの正しさはサタンに攻撃されても揺るがないと信じておられました。後日、神はヨブの生活も希望も回復させられました。
毎年、必ず春がやってくることは、絶望的な状況にいる人にとって慰めです。神がともにいてくだされば、絶望というものはありません。どれほど悪い状況に見えたとしても、神はそれを用いて、美しく栄光に満ちたものを作ってくださいます。
救われて
マヌエル・ゴンサレス氏は、2010年のチリ鉱山落盤事故の際、地下に69日間も閉じ込められた33名の作業員のところに最初に下り立った救助隊員です。彼は自らの命を危険にさらしながら、閉じ込められた人々を連れ戻すために先陣を切って、地下およそ700メートルまで降下しました。その後、作業員がひとり、またひとりとカプセルで地上に引き上げられてくる様子を、世界中がかたずを呑んで見守り、感動しました。
さて聖書には、これ以上に感動的な救出劇が記されています。アダムとエバの背信行為によって、すべての人は罪に捕らわれました(創2:17、3:6、19節、ロマ5:12)。人は罪から解放されない限り、「死」と向き合わなければなりません。それは肉体の死であり、永遠の死です。しかし神は、ご自身の御子イエス・キリストという救助隊員を送られました。イエスの死と復活によって「救い」が提供されました。これを受け入れる人は、罪の支配から解放され、罪の結果としての死から自由になれます(ロマ5:8-11、10:9-11、エペ2:1-10)。
キリストは、「眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました」(Ⅰコリ15:20)。イエスは死からよみがえった最初の人であり、再び死ぬことのないお方です。キリストを信じる人は誰でも、このように永遠のいのちを与えられます(ロマ8:11)。
あなたはまだ、罪の捕らわれ人ですか。イエスの贈り物である「救い」を受け取りましょう。そうして永遠に、キリストと共に生きる人生の自由を楽しみましょう(使16:31、エペ2:1、コロ 2:13)。
清算する
太陽がぽかぽか暖かいある日の出来事です。ガレージセールを開き、いらなくなった洋服や古本、食器類などを売ることにしました。掘り出し物を探す人たちの中に、白いビーズのネックレスをじっと見つめている若い女性がいました。ところが、少し目を離した隙に、ネックレスもさっきの女性の姿も消えていました。あたりを見回すと、立ち去ろうとする彼女の後姿が向こうに見えたので、走って追いかけました。声をかけると、手には例のネックレスが握り締められたままです。気まずい雰囲気の中、女性は盗んだネックレスの代金を支払うと申し出てくれました。
取税人ザアカイは、イエスを見たい一心で木に登りました。そしてイエスと出会い、変えられました。彼は、それまでに人からだまし取ったものは4倍にして返すと言ったのです(ルカ19:8)。当時の取税人は、人々から余分に税を徴収し、その上前をはねるのが常でした。だまし取ったものを返し、財産の半分を貧しい人たちに施すというザアカイの熱意から、彼の心に大きな変化が起こったことが伺えます。搾取していた人が、イエスと出会い、自分の行為の償いをした上、今度は施す人になろうと決意しました。
ザアカイの話は、自分も変わりたいと思わせてくれます。何かを取ってしまった、滞納している税がある、または、誰かを傷つけたなどの過去が心に浮かんだなら、それは神が示してくださったのです。清算しましょう。それは、神に栄誉を帰する行為です。
喜び
アダムとエバが神にそむいたことで、喜びが失われました。神は、それ以上の悪い事が起こらないように、ふたりをエデンの園から追放されました。もし、彼らが善悪の知識の木のみならず、いのちの木の実も食べたならば、あのみじめな状態で永遠に生きながらえなくてはならないのです(創3:22)。