聴いて応答する
◆ エレミヤ書50-52
自分のことばかり話す人に会ったことがありますか。礼儀で相手のことを訪ねると、その人は自分のことばかり話し、あなたについて尋ねようとはしません。ふたりの会話は、その人のことだけ、あなたの話題は皆無です。
さて、私たちのデボーションはどうでしょう。私たちはまず、神のみことばをいくらか読みますが、祈る段になると、さっさと自分のニーズに焦点を移して、あの問題を解決してください、生活の必要を満たしてください、病気を癒してください、助けてください、と祈ります。しかし、たった今読んだ神のみことばに対する応答はありません。神がたった今、語りかけてくださったことについては、ほとんど無視しているのです。
詩篇119篇の作者の態度は、このようではありません。この人は、「私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください」と、神のみことばを理解できるように助けてくださいと祈りました(18節)。彼にとって、神のみことばがどれほど大切であるかを告白し、「私の喜び」(24節)だと、祈りの中で述べています。
祈りの中でみことばに応答する習慣を身につけましょう。そうすれば、私たちのデボーションの質が大きく変わります。聖書を読むことと祈ることは、聴いて応答するというきちんとしたコミュニケーションであるべきです。
神のみことばに耳を傾け、それについて祈ろう。
召しに従って
◆ 雅歌4-5
◆ ガラテヤ3
すぐに、彼らは網を捨て置いて従った。―マルコ1:18
べトナム戦争中にアメリカ合衆国戦略航空軍団に所属していた、レイ・ベーカー大尉について読みました。当時、空軍のパイロットは、ブザーが鳴るとすぐに兵舎を走り出て、飛行機に飛び乗るという訓練を受けていました。それで、夕食を食べているときにナイフとフォークを放り出して、爆撃機に駆けつけなければならないということが何度もありました。彼らは、召集に間髪を入れず従順に応答するために、徹底的に訓練されました。あまりにしっかり訓練されていたので、ベーカーは休暇中にレストランにいたときも、ブザー音が聞こえるやいなや外に飛び出したほどでした。