小島
シンガポールは小さな島です。世界地図で見つけるのが難しいほど、小さいのです。その小さい島にたくさんの人が住んでいるので、他の人々のことを考えて行動することが重要です。この島に住む男性が、初めてやって来る婚約者にあててこう書きました。「とにかく狭いのだから…いつも自分の周りにスペースがあるか、気を配っていなくてはいけないよ。周りに注意して、人が来るなら脇によけて、自分が誰かの行く手をさえぎっていないか、常に心を配らなくてはならないんだ。要するに、誰に対しても思いやりを持つことだね。」
十分に整えられる
医療用メスの開発者でスイス人のカール・エルズナーは、何年もかけて軍仕様のナイフを制作しました。19世紀のことです。このスイスアーミーナイフは、その鋭い切れ味と多機能性で今日でも多くの人に知られています。小刃、金属のこぎり、はさみ、ルーペ、缶切、ドライバー、定規、ボールペンなど、多彩なツールがセットされていて、野外でキャンプをする人たちに、「これがあれば大丈夫」と感じさせてくれるのです。
私たちクリスチャンにも、罪にまみれたこの世を正しく生き抜くために、「これがあれば大丈夫」と感じさせてくれる何かが必要です。そのために、神はご自身のみことばをくださいました。パウロはこう語っています。「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです」(Ⅱテモ3:16-17)。
「整えられ」ると訳されている単語は、「完全に適応させる」または「きちんと取り付ける」という意味です。聖書は次のようにして私たちを整えてくれます。第一に、「教義」という霊的真理が与えられます。次に、私たちの不完全な部分を示し「戒め」てくれます。さらに、私たちが罪を犯したとき、それを示して「正して」くれます。最後に、正しい人生を生きるために「指導」してくれます。
神のみことばほど価値あるツールはありません。みことばは、私たちが信仰者として歩み続け、霊的な成長を遂げるために不可欠なものです。
地図の真実
カーナビは目的地までの最適な経路を教えてくれる新しい機器ですが、私たち夫婦は、いまだに地図を用いて道を探しています。たいていは夫のジェイが運転するので、当然、地図を見るのは私の役目です。私は普段は方向音痴ではないのですが、動いている車の道案内は得意ではありません。
善を見ならいなさい
◆ エゼキエル書25-27
大抵の人は、人生は悲喜こもごもだと認めています。結婚生活や友人関係、家庭や職場、教会においてもそうです。ところが、キリストを礼拝し、キリストに仕えることを求める人たちの集まりの中で、自己中心性がむき出しになると、私たちは驚き落胆します。
使徒ヨハネは、友人ガイオに宛てた手紙の中で、真実な行いをし、気前良くもてなしている教会の人々を褒めています(Ⅲヨハ1:3-8)。ところが、「彼らの中でかしらになりたがっている」(9節)デオテレペスは、その教会の中にとげとげしい雰囲気を作り出していました。
ヨハネは、次に教会を訪問する時はデオテレペスに意見をすると約束し、教会の人たちには、「愛する者よ。悪に見ならわないで、善を見ならいなさい。善を行う者は神から出た者であり、悪を行う者は神を見たことのない者です」(11節)と語って、彼らを励ましました。このヨハネのことばは、パウロがローマの教会に語ったことば、「悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい」(ロマ12:21)と一致しています。
対立が過熱すると、やられたのだからやり返す、という誘惑にかられます。けれどもヨハネは、悪い態度や行いから離れて、良い態度や行いをすることを熱心に勧めています。これこそが、救い主に栄光を帰す道です。
光は闇に打ち勝ち、善は悪を打ち負かす。