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何事にも定まった時期が

あなたが私のようなタイプの人なら、何かを頼まれると断るのが苦手でしょう。それが、ボランティアやチャリティーなど人助けにつながるような場合は特にそうです。自分の優先順位を考えて断るべき正当な理由があったとしても、罪意識を感じたり、クリスチャンとして良い証を立てていないように思ったりします。

いつですか

ことわざで「時」がつくとなると、「タイミングがすべてだ」という意味のものが多いようです。「定めの時が来たので、神はご自分の御子を遣わした」(ガラ4:4)という使徒パウロの言葉も、そういう意味ではないでしょうか。興味深いところです。

人生の浮き沈み

1年で聖書を!
◆ 伝道者の書1-3
◆ Ⅱコリント11:16-33
聖書のみことば 伝道者の書3:1-8
 
泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。―伝道者の書3:4

人生は山あり谷ありだ、と言うなら、たいていの人は同意するでしょう。賢い王であったソロモンも、そのとおりだと信じていました。そして、移り変わる状況をどう受け止めるべきか、思いを巡らしました。彼は伝道者の書に「何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。…泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある」と記しています(3:1-4)。ソロモンの父であるダビデは「神の心にかなう人」(Ⅰサム13:14、使13:22)と言われていました。それにもかかわらず、彼の人生は、何と浮き沈みの多かったことでしょう。彼は、バテ・シェバとの間に生まれた初めての子どもを病気で失い嘆きました(Ⅱサム12:22)。しかし、賛美と喜び、そして笑いに満ちた都上りの歌も書いています(詩126:1-3)。反乱を起こした息子のアブシャロムが死んだときには、深い悲しみを体験しました(Ⅱサム18:33)。一方で、神の箱がエルサレムに運び込まれると聖霊に触れられて大喜びし、主の前で力いっぱい踊りました(Ⅱサム6:12-15)。