神の視点
ジェイソンは春休みを利用して、友だちとニューヨークに旅行しました。ある日の午後、エンパイア・ステート・ビルを見学しようとタクシーを拾い、ごった返した道を走り抜けるタクシーにひやひやしました。ところが、高層ビルの展望台に到着し、そこから下界を眺めて驚きました。街は整然と整備されていたのです。どこから見るかによって、同じ場所の風景はまったく違って見えました。
監視カメラ
近所の警察署が、信号無視のドライバーを写すために監視カメラを取り付けました。違反者のところには後日、赤信号を横断する車の写真と一緒に違反切符が郵送されてきます。この写真は、交通違反の動かぬ証拠です。
時として、神は監視カメラと同じだと感じることがあります。神は天におられて、私たちが悪いことをする現場を押さえようと見張っておられると思ってしまいます。確かに、主は私たちの罪を見ておられますが(ヘブ4:13)、同時に、良い行いにも関心をもってくださいます。教会に献金したり、困っている人に金銭的な支援をしたりしたときも、どの程度の犠牲を払ってそうしたかを見ていてくださいます(マコ12:41-44)。誰も知らない個人的な祈りも聞いてくださいますし(マタ6:6)、思うところあって断食するときも、隠れたところにおられる天の父が見られると確信して(18節)、辛さを見せずに通常の生活を続けることができます。
主がすべてを見ておられることが分かると、世間の目が気にならなくなります。正しいことをするなら、人に誉められようが誉められまいが関係ありません。罪を犯してしまったときも、神に告白して赦していただき、被害者に対してもすべきことをきちんとするなら、周りの人に何と言われるだろうかと思い悩む必要はありません。「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです」(Ⅱ歴16:9)というみことばをいただき、平安に過ごしましょう。