専門家の修理
◆ 詩篇46-48
◆ 使徒28
四つ辻に立って見渡し、昔からの通り道、幸いの道はどこにあるかを尋ね、それを歩んで、あなたがたのいこいを見いだせ。―エレミヤ書6:16
修理しようとして失敗したことがあるなら、私が自動車修理工場で見かけた「ご主人の修理した車を直します」という広告をありがたいと思うでしょう。車だけでなく配水管や電化製品などの修理も同じです。自分ではなかなかうまくできないので、信頼できる専門家に任せたほうが良いのです。
同じように、私たちは自分の罪や葛藤を自分で何とかしようとしますが、その努力に抵抗するのもまた自分自身です。
欲しいものに気をつける
◆ ヨブ記34-35
◆ 使徒15:1-21
欲しがってはならない。―出エジプト記20:17
なぜ、神は「十戒」の順序を逆になさらなかったのだろうと、ときどき不思議に思います。というのは、人類最初の罪と十戒の十番目の戒めには密接な関係、つまり、自分のものでないものを欲しがることがあるからです。エバの罪は、単に果実を食べたことではありません。サタンにそそのかされて、神のように善悪を知る力が欲しいと思ったことでした(創3:5)。エバは自分の欲望によって、後に十戒としてモーセに与えられた戒律の1番目と10番目の両方を破ってしまったのです。
真の自由
◆ ヨブ記28-29
◆ 使徒13:1-25
キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、―ガラテヤ5:1
アメリカ北部の13ヶ所の植民地は、1776年、英国王の政策に抵抗し新しい国を建国しようとしました。そして、ある文書を採択しました。現在「独立宣言」と言われているものです。
約2000年前、主イエスは十字架の上で「完了した」と叫ばれました。一種の「独立宣言」です。すべての人は、罪と死の支配下にいました。しかし、唯一罪のないキリストがカルバリで私たちの身代わりとなり、私たちの罪のために死なれました。それで神の義に対する要求が満たされ、キリストを信じる者は、罪と死の支配から永遠に自由になったのです。