昨日、今日、明日
仕事場にある写真や記念品は、すべて過去のものだとふと気づき、処分しようかと思いました。そのとき、これらの品には懐かしい思い出という以外、何の意味も無いのだろうかと考えました。この写真や記念品が今日どのような意味を持つのか、また明日に対してどんな意味を持つのか、それを見つけなければ、ただ思い出に浸るだけになってしまいます。
神の民がヨルダン川を渡り、約束の地に入るとき、神は指導者となったヨシュアに12人を選ばせ、各々が川の真ん中で石を取って、自分の宿営地に運ぶようにと命じられました。そして、この石を記念として据えなさいと言われました(ヨシ4:1-5)。それは、子孫たちが後に「これらの石にはどういう意味があるのですか」と尋ねるだろうからです。その時彼らは、神は真実なお方で、自分たちを守り、ヨルダン川の水をせき止められて、安全に渡らせてくださったと教えることができます(6-7節)。
クリスチャンにとって、神が助けてくださったことを証する、目に見えたり、手で触ったりできる何かを持っているのはよいことです。それによって、私たちは神が今日も誠実なお方であることを思い出すことができ、その確信とともに明日に向かって、神に従順に歩んで行けます。私たちの「石」は、私たちに神を畏れることを教えてくれます。それと同時に、他の人たちにも、神の御手は非常に強大だということを知らせます(24節)。
神の御業についての思い出は、私たちの今日や明日を築く礎になります。
覚えて、これを 行いなさい
◆ ダニエル書5-7
◆ Ⅱヨハネ
―Ⅰコリント11:24
アメリカ海軍の艦船の乗務員は、真珠湾を出航、また真珠湾に帰還するとき、制服姿で甲板に整列します。海に向かって一定間隔で整列し、不動の姿勢で最敬礼をして、1941年12月7日に死亡した兵士や民間の人たちに思いを馳せるのです。この光景は見る者を感動させ、また、多くの軍人たちは、最も思い出深い経験のひとつだと語っています。
石
◆ ヨシュア記4-6
◆ ルカ1:1-20
あなたがたの子どもたちが……「これらの石はどういうものなのですか」と聞いたなら、あなたがたは、その子どもたちにこう言って教えなければならない。「イスラエルは、このヨルダン川のかわいた土の上を渡ったのだ。」 ―ヨシュア記4:21-22
つい最近のことですが、音楽の才能豊かな友人のケビンとイルザが、音楽愛好家の友人たちを自宅に招いて、焚き火を囲んだ即興演奏会を開きました。招待客たちは焚き火の周りに置く石を持参するように言われました。けれども、ただの石ではいけません。自分たちが友だちになった日や、その出来事などをその石に書き記して持ってくるように言われました。
一緒に聖餐にあずかる
◆ イザヤ書17-19
◆ エペソ5:17-33
あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。―Ⅰコリント11:26
アメリカの多くの教会は、10月の第1日曜日を世界聖餐主日として聖餐式を行います。これは、世界中の主にある兄弟姉妹とともに聖餐にあずかっていることを心に刻むときです。私にとって、この日を主にある兄弟姉妹とともに迎えることは、大変意味深いことです。