1年で聖書を!
◆ 詩篇16-17
◆ 使徒20:1-16
聖書のみことば Ⅰコリント4:1-5

 
さばいてはいけません。さばかれないためです。―マタイ7:1


イエスの「さばいてはいけません」(マタ7:1)という命令は、分別を働かせたり、間違いを認識したりするのは良くないという意味ではありません。私たちは、間違いや不正行為がたびたび起こる世界に暮らしているので、ものごとは当然、批判や分析を交えて考えていかなければなりません。イエスが言われたのは、決めつけたり、切って捨てたりすべきでないということなのです。パウロはこの教えを「あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます」(Ⅰコリ4:5)と、説得力ある言葉で言い表しています。 

疑問を感じさせる行動をする人について、詩人ロバート・バーンズは「未だもって非常にあいまいな点がある。つまり、動機、それをする理由だ」と語り、パウロと似たような指摘をしています。他人の動機がわかる人はいません。やみの中に隠れていることに光を当て、心のはかりごとを明らかにできるのは神だけです。

幼少期の過酷な体験、恐れ、失望、傷心、押し殺した罪など、密かに人を動機づけている力がありますが、イエスはそれをご存知です。またそれ以上に、従順な心を知っておられ、その心を成長に導いてくださいます。そして最後には、私たちの予想に反して、完成に導かれた人々を賞賛してくださいます。

主だけが心を調べることのできるお方です。再臨のときが来るまで、自分の心を吟味できるよう、主に助けていただきましょう。(David Roper)

人をさばくことには遅く、自分をさばくことには速やかであろう。