◆ 詩篇20-22
◆ 使徒21:1-17
私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。―Ⅱテモテ4:6
カーネギー・メロン大学のランディ・パウシュ教授は、47歳で末期ガンを宣告されたのち、大学で最後の講演をしました。彼はコンピューター・サイエンスの教授で、聴講者は学生や同僚、そして友人たち150人ぐらいだろうかと考えていましたが、400席の大講義室はいっぱいでした。彼が心から語った一時間ほどの講義は、洞察とユーモアに満ちた感動的なものでした。彼の告別の挨拶は、死ぬことではなく生きることに焦点を当てたものでした。
この講義の様子はインターネットで公開され、ほんの数週間で閲覧件数が百万件にのぼり、ここからベストセラー本が生まれました。死に直面した人は往々にして、普通では考えられないほどはっきりと、人生で本当に大切なものは何かが見通せるようになります。
使徒パウロの別れの挨拶は、何世紀にもわたってキリストに従う無数の人たちを激励してきました。パウロはテモテに向けて「私が世を去る時はすでに来ました。私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました」(Ⅱテモ4:6-7)と書きました。この言葉は、時代を超えて私たちにも迫ってきます。この手紙は「恵みとあわれみと平安がありますように」(1:2)と始まり、「主があなたの霊とともにおられますように。恵みが、あなたがたとともにありますように」(4:22)と終わっています。そして、その間には絶えることのない神の誠実さがたたえられています。
死にゆく人からのメッセージが、生きている人に目的を与えることがあります。「主に、御栄えがとこしえにありますように」(4:18)というパウロの勝利のフィナーレは、私たちの指針となるメッセージです。 (David McCasland)
死ぬ準備ができている人は生きる準備ができている。