1年で聖書を!
◆ 詩篇57-59
◆ ローマ4
聖書のみことば マタイ6:1-4

あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。―マタイ6:3


人に何かをしてあげたとき、その人が気づいてくれるなら、嬉しいと思います。礼状や「ありがとう」の言葉に感謝するのは、私だけではないでしょう。しかし、匿名の親切が良いことにも異論はありません。イエスがそう言われているからです。

私にも、我が家の玄関先に置かれていた匿名の贈り物に感激した経験があります。私たちはしばらく旅行に出かけていましたが、帰宅してみると、玄関先に満開のひまわりの鉢植えが置かれていました。その理由はすぐ分かりました。誰かが、亡くなった娘のメリッサの誕生日に、彼女の好きだった花の鉢植えを置いていってくれたのです。それは「メリッサを忘れていません」というメッセージです。この人は匿名にすることで、自分たちにではなく、私たち家族に焦点を当てようとしてくれたのでしょう。

みんなが、気前よく無私に与えている世界を想像してください。イエスはマタイの福音書6章で、隠れた施しについて語られました。「あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます」(3-4節)。

現実的には、いつも匿名で寄付をしたり、何かを差し上げたりはできません。しかし、私たちの態度は、常に自分に焦点を当てない謙遜さと、神を指し示す慈しみに彩られているべきです。何かを差し上げるときは、そうあるべきです。 (Dave Branon)

私たちが与える人であるか否かを計る真のものさしは自己犠牲だ。