私の主
◆ 詩篇54-56
◆ ローマ3
トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」―ヨハネ20:28
イエスは復活された後、弟子たちの前に現れて、ご自身の手と足をお見せになりました。弟子たちは初め、うれしさのあまり真実とは信じられなかったと聖書は語っています(ルカ24:41)。トマスはほかの弟子たちと一緒にいませんでしたが、彼もまた、自分の目で確かめるまでは信じることができませんでした。しかし、イエスが現れ、釘で打ち付けられた穴に指を入れ、わき腹に手を差し入れなさいと言われたとき、トマスは「私の主。私の神」と叫びました(ヨハ20:28)。
太平洋ゴミベルト
◆ 詩篇51-53
◆ ローマ2
水の集まった所を海と名づけられた。神はそれを見て良しとされた。―創世記1:10
海を巨大なごみ箱にしてもよいと考えている人たちがいる、という困った内容の報告書を目にしました。ここに一部抜粋します。「太平洋に出て、驚くほど大量のプラスチックが浮いているのを見たなら、これが『太平洋ゴミベルト』です。その海域には300万トンのプラスチックごみが浮遊しており、その広さはアメリカのテキサス州より広大です。そこには1平方キロメートルあたり1万8,000個のプラスチック片が浮いているのです。」他の情報筋の見積もりによれば、ごみの量はもっと多いそうです。プラスチックは分解されないので、特にやっかいです。
明快に表す
◆ 詩篇49-50
◆ ローマ1
私は福音を恥とは思いません。福音は……信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。―ローマ1:16
デトロイト・タイガースとシカゴ・ホワイトソックスの試合を見に行くので、私はわくわくしていました。敵地に乗り込む朝、私はタイガースのTシャツを誇らし気に身に着けました。ところが、寒かったので上にトレーナーを着なければなりませんでした。がっかりです。これでは球場で、タイガースファンであることを誇示することができません。しかし、雨のため3時間遅れでやっと試合が始まると、私は懸命に声援を送って、タイガースへの忠誠心をみんなに分かるように示すことができました。
専門家の修理
◆ 詩篇46-48
◆ 使徒28
四つ辻に立って見渡し、昔からの通り道、幸いの道はどこにあるかを尋ね、それを歩んで、あなたがたのいこいを見いだせ。―エレミヤ書6:16
修理しようとして失敗したことがあるなら、私が自動車修理工場で見かけた「ご主人の修理した車を直します」という広告をありがたいと思うでしょう。車だけでなく配水管や電化製品などの修理も同じです。自分ではなかなかうまくできないので、信頼できる専門家に任せたほうが良いのです。
同じように、私たちは自分の罪や葛藤を自分で何とかしようとしますが、その努力に抵抗するのもまた自分自身です。
エリンが教えてくれたこと
◆ 詩篇40-42
◆ 使徒27:1-26
主は情け深く、あわれみ深く、 ―詩篇145:8
エリンの生活は普通の子どもとはかなり違っていました。他の子どもたちは、走り回って遊んだり、アイスクリームを食べたりしているのに、エリンはベッドに横たわり、食事は栄養チューブからです。強い光しか見えず、大きな音しか聞こえません。生活の大部分は病院通い、看護師、注射に占領され、数々の慢性疾患や重い障害と闘っていました。エリンは、思いやり深く世話をしてくれる愛に満ちた家族に囲まれていましたが、9歳の誕生日を迎える前に亡くなりました。彼女はお絵かきをしたり、歌をうたったり、おしゃべりをすることもありませんでした。
目を離さないで
◆ 詩篇37-39
◆ 使徒26
私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。―ヘブル12:1-2
自動車教習所の教官は「しっかり前を見て!」と繰り返し言いました。彼はそう言って、私が目下の状況ではなく、まっすぐ向こうに意識をもっていくように促したのです。常に左右をきょろきょろ見ていると、おそらく側溝にはまってしまうからでしょう。
サタンはわき見をさせるのが得意です。私たちがイエスではなく、サタンに目を向けるように誘惑します。注意を引きつけるなら、私たちはわき道にそれ、霊的成長を遅らせることになるからです。サタンはイエスにも、そうしようと画策したのです。