1年で聖書を!
◆詩篇89-90
◆ ローマ14
聖書のみことば イザヤ書46:8-11

 
わたしが神である。…わたしのような神はいない。―イザヤ書46:9


私たち夫婦は常に理解し合っているわけではありません。例えば彼女にとって、プレイオフに出場できる見込みのないプロ野球チームの試合を見続けるというのは、大いなる謎です。一方で私には、彼女のウィンドウ・ショッピングがさっぱり理解できません。
 

感謝なことに、誰かを真剣に愛することは、その人を完全に理解することではありません。私たちは神を愛していますが、神の奥義を理解することは、まったくもって不可能です。

人間の思考には限界があります。それに、人間は自己中心的な物の見方をします。それで、なぜ神はそういうことをなさるのか、想像さえできないことがあります。それで悲劇的な状況が起こったりすると、神の無限の知恵ではなく、自分の限りある知識のほうが正しいと主張して、神に背を向ける人もいるのです。

けれども、もし神が人に理解できる程度のお方だったらどうでしょう。もし、みんなに褒められるとか、非常に頭の切れるという程度のことだったとしたら、そのお方は畏れと威厳に満ちた全能の神だといえるでしょうか。神がすごく偉大だという理由のひとつは、このお方は、私たちが把握できるサイズには収まらないということなのです。

使徒パウロは「だれが主のみこころを知り、主を導くことができたか」(Ⅰコリ2:16)と問いかけました。明らかに、誰にもできなかったのです。

理解できないと思ったときでも、神をほめたたえましょう。神は信頼に値するお方です。 (Dave Branon)

神を完全に理解することは不可能だが、神を礼拝することは不可欠だ。