◆ イザヤ書41-42
◆ Ⅰテサロニケ1
医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。 ―マルコ2:17
フランシスコ会の修道士マイケル・サンジャックは、服装について尋ねられると、「修道衣というものを着ています」と答えます。それは独特な茶色の職服ですが、彼は明確な理由があってこれを着ています。マイケルはユナイテッド航空の機内誌「Hemispheres」のインタビューで次のように答えています。
「これは制服ではありませんが、私たち修道士は日ごろから、努めてこれを身に着けるよう心がけています。なぜなら、この服装には磁石のような効果があるからです。人々が、誰にも話したことがないことを打ち明けてくれるのです。赤の他人が30年前にしたことを私に告白し、神は赦してくれるだろうかと尋ねるのです。」実のところ、彼が身につけているものは「近づきやすさ」かもしれません。
イエスはどこに行っても様々な人に囲まれたと、どの福音書にも記されています。この人たちは、教え、助け、癒し、居場所、そして、赦しを求めてやって来ました。イエスは取税人や罪人などという、好ましくない人たちとかかわっている、と批判する人たちがいました。しかし、主は言われました。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです」(マコ2:17)。
あなたは近づきやすい人ですか。それとも、近づきづらい人ですか。自分のことに集中してしまうと、人のための時間が無くなり、キリストの心を身につけているとは言えなくなります。救い主が私たちを通して生きてくださるとき、人々は心を開いて、心の重荷をおろすように招かれます。 (David McCasland)
人の必要に応えようとすることは、キリストに誉れを帰することだ。