1年で聖書を!
◆ イザヤ書59-61
◆ Ⅱテサロニケ3
◆ イザヤ書59-61
◆ Ⅱテサロニケ3
聖書のみことば Ⅰコリント2:1-9
私があなたがたのところへ行ったとき、私は、すぐれたことば、すぐれた知恵を用いて、神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした。―Ⅰコリント2:1
子どものころ、嬉しがって発音に挑戦していた難しい単語があります。それは「antidisestablishmentarianism」です。何と長ったらしい言葉でしょう。最近、その意味を辞書で調べてみました。それによると「教会を国教会として国が認定する制度を廃止することに反対する論理もしくは政治的信条」とあります。この定義もこの単語と同じぐらいややこしいものです。私も私の友だちも、その意味を知りませんでした。ただ、難しい言葉を使うと、自分が物知りであるかのように人に見せることができたのです。
使徒パウロは牧会をしていたとき、人に感心されようとはしませんでした。コリント人への手紙には「私があなたがたのところへ行ったとき、私は、すぐれたことば、すぐれた知恵を用いて、神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした」(Ⅰコリ2:1)と記されています。「すぐれたことば」と訳されているギリシャ語は「仰々しいことば」とか「気取ったことば」という意味です。つまり他の人を教えるためではなく、自分を立派に見せるために、その言葉を使っていることを暗示しています。パウロは才気溢れる聖書神学者でしたが、自分がすごい人であることを示すために仰々しい言葉を用いたりしませんでした。
聖書がだんだん分かってきたときは、パウロの模範に倣いましょう。ひけらかすために自分の知識を用いるのではなく、よく言葉を選んで、人を助けるために用いましょう。 (Dennis Fisher)
賢いか否かを示すのは、何を知っているかではない。いつ、どのようにそれを使うかを知っていることだ。