言葉を選ぶ
◆ イザヤ書59-61
◆ Ⅱテサロニケ3
私があなたがたのところへ行ったとき、私は、すぐれたことば、すぐれた知恵を用いて、神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした。―Ⅰコリント2:1
子どものころ、嬉しがって発音に挑戦していた難しい単語があります。それは「antidisestablishmentarianism」です。何と長ったらしい言葉でしょう。最近、その意味を辞書で調べてみました。それによると「教会を国教会として国が認定する制度を廃止することに反対する論理もしくは政治的信条」とあります。この定義もこの単語と同じぐらいややこしいものです。私も私の友だちも、その意味を知りませんでした。ただ、難しい言葉を使うと、自分が物知りであるかのように人に見せることができたのです。
ため込むか、助けるか
◆ イザヤ書56-58
◆ Ⅱテサロニケ2
飢えた者に心を配り、悩む者の願いを満足させるなら、あなたの光は、やみの中に輝き上り、―イザヤ書58:10
イギリスが第一次世界大戦に参戦した1912年の8月、オズワルド・チェンバーズ牧師は40歳で、妻と1歳の娘がいました。間もなくして、毎日3万人の男たちが新たに軍隊に入隊し、国民は、自家用車や自分の農耕馬を政府に売るように言われました。日刊紙には、戦死者や負傷兵の名前が載り始めました。英国は経済危機に直面していました。
前進しつづける
◆ イザヤ書53-55
◆ Ⅱテサロニケ1
何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。―コロサイ3:23
エナジャイザー・バニー(大手電池メーカー「エナジャイザー社」のマスコット)もRBCミニストリーズの「サービス・パートナー」たちにはかないません。『デイリーブレッド』を発行しているRBCには「サービス・パートナー」というボランティアの人たちがいて、自分の技術や時間を神にささげて奉仕しています。この方々は「人生を変える聖書の英知をすべての人に分かりやすく伝える」というRBCのミッションを、ともに遂行しているのです。
神のために語る
◆ イザヤ書47-49
◆ Ⅰテサロニケ4
恥ずべき隠された事を捨て、悪巧みに歩まず、神のことばを曲げず、 ―Ⅱコリント4:2
文章を書くとき、よく分かるようにと最善の努力をしたにもかかわらず、正しく理解してもらえないことがあります。自分の力不足にがっかりしますが、努力を続けるしかありません。しかし時には、文脈を無視して解釈したり、意図したことと全く異なる意味を読み込んだりする読者がいます。これには、もどかしい思いです。いったん出版されたなら、それが読み手にどう用いられるか、作家が管理することはできないからです。
知らせなさい
◆ イザヤ書45-46
◆ Ⅰテサロニケ3
私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。 ―ローマ5:8
私は、神の創造の御業を感謝するべきだと、かかりつけの医者に言いました。彼は懐疑論者で、注射針を手にしていたので、黙っているべきかなとも思ったのですが…「もし、今でも進化が続いているなら、その針をどこに刺したらよいか定められないでしょう」とつづけました。彼は「あなたは本当に神を信じているのですか」と尋ねました。私は「もちろんです。人は、実に複雑に創られていますよね」と答えました。
援助の手
◆ イザヤ書43-44
◆ Ⅰテサロニケ2
彼女は悩んでいる人に手を差し出し、 ―箴言31:20
ジョニー・ロングデンは1930~40年代に活躍した騎手ですが、あるとき、レースの最中に落馬しそうになりました。他の馬がとどろきをあげてやってくる中、自分の馬の横腹にずり落ちたのです。しかし、別の馬に乗っていた騎手が彼の窮地を見ました。そして手を差し出し、ロングデンを馬の背中に押し戻そうとしました。ところが強く押されすぎたので、ロングデンは反対側に落ちそうになりました。すると今度は、反対側にいた別の騎手が彼をつかみ、馬の背中に安全に戻すことができました。驚くべきことに、ジョニー・ロングデンは、このレースに勝ったのです。新聞は「究極の不可能」と呼びました。