1年で聖書を!
◆ 創世記7-9
◆ マタイ3
聖書のみことば Ⅰサムエル記1:1-18

 
私は声をあげて、主に呼ばわる。すると、聖なる山から私に答えてくださる。―詩篇3:4


職場において、新人のやる気を奪う最たるものは、ベテラン社員からの批判です。有能な人事担当者なら、新人を不必要なとげのある言葉にさらさないように、盾となる先輩をつけるべきだと知っています。

どのように批判を取り扱うかについて、また、どのように心の底からの願いを取り扱うかについて、私たちはハンナから学ぶことができます(Ⅰサム1:1-18)。彼女は、気持ちを理解してくれない夫、責めあざける仲間、独善的な聖職者に囲まれていました。しかし、神に心を注ぎ出すことで、霧の中に道を見つけました(10節)。私たちは、神がハンナの心の祈りに応えて男の子を与えてくださったと分かりますが、エリの祝福については、気休めであったのか、神の約束であったのか定かではありません(17節)。彼女の顔が悲しそうでなくなった最大の理由は、神に心を打ち明けて平安を得たからではないでしょうか。
 

私たちは神と交わるために造られました。そして、その交わりが密になると、私たちは神の臨在だけでなく、神の力とも結ばれます。私たちの心の痛みや感情を赤裸々に語る祈りを、神が喜んでくださることは確実です。なぜなら、私たちが神を信頼していることが明らかになるからです。祈った私たちも必ず慰められ、新しい展望を得ることもしばしばです。心を騒がしていることが、批判であれ、願望であれ、最善の対処法をご存知のお方にお任せしたのですから、もう大丈夫です。

(Randy Kilgore)

心がなくて言葉のある祈りよりも、言葉がなくても心のある祈りのほうがよい。