Tag  |  祈り

神は聞いておられる

アメリカのTV番組が、1982年にビリー・グラハム師にインタビューする前日のことです。宣教団の広報部長だったラリー・ロスは、グラハム師がインタビューの前に祈る個室を用意して欲しいと言いました。しかし、グラハム師が到着すると、彼のアシスタントは個室は必要ないと告げました。彼によると、「グラハム先生は朝起きてすぐ祈り出し、朝食を取りながらも、ここへ来る車中でも祈っていて、おそらくインタビューの最中もずっと祈っている」からだといいます。後日、ロスは「若輩者の自分にとって、あれは大きな教訓になった」と述べています。

誰の願い?

中華系の人たちは、旧正月を祝うとき、「万事があなたの願い通りになりますように」と挨拶を交わします。そうなったら素晴らしいのかもしれませんが、私の願いではなく、神のみこころがなされるなら、そのほうが最善だといえるでしょう。

その子をわたしのところに

マークが「神さまを信じていないから教会には行かない」と言い出しました。彼は、無邪気な少年から不機嫌で反抗的な青年に変わってしまいました。それからというもの、マークの両親にとって人生は戦場となり、日曜日は重苦しい日になりました。ついにどうして良いか分からなくなり、カウンセラーに相談しました。すると、こう言われました。「マークは自分で信仰の旅路を歩まなければなりません。親が子を御国に強制入国させることはできません。神に働いていただく余地を作りましょう。祈りつづけてください。そして、待ちましょう。」

そり滑りと祈り

雪が降ると孫を連れて来て、プラスチックのそりでそり滑りをして遊ばせるのが好きです。孫は裏庭の短い下り坂をザァーっと10秒で滑り降り、また登って、そして滑ります。

イエスの 名によって

家族で食事をしたときに撮った写真は、私のお気に入りです。ひとつのアルバムに、父と息子である私たち、そして息子の家族たちが集まって、感謝ととりなしをささげた様子が収められています。父は脳卒中を患い言葉が不自由でした。けれどもあの日、父が「イエスの名によって、祈ります」と確固たる信仰で祈るのを聞きました。そして約1年後、信頼する御名を持つお方のもとに旅立ちました。

なきにも 等しい

ヤコブは、自分をそこそこ良い人間だなどと思ってはいませんでした。むしろ、自分は罪にまみれた人間だと思っていました(創32:10)。神の恵みに値しないと思っていました。彼は兄のエサウから長子の権利をだまし取り、兄に恨まれていました(27章)。幾多の年月が流れ、ヤコブは今、エサウに再会しようとしていました。

最初の反応

夫のトムが病院に緊急搬送され、手術をすることになったとき、私は家族に次々と電話をかけました。姉夫妻がすぐに来てくれ、手術が終わるのを待ちながら、いっしょに祈ってくれました。トムの妹は、私の心配気な声を電話ごしに聞くと、「シンディー、いっしょに祈りましょう」と即座に言いました。私たちの集っている教会の牧師夫妻も病院に駆けつけてくれて、私たちのために祈ってくれました(ヤコ5:13-16)。

たましいの緊急事態

大津波が2011年3月に日本の東北地方の沿岸を襲いました。多くの町や村は流され、1万6千人近い人の生命が奪われました。作家で詩人のグレーテル・エルリックは、その壊滅状況を自分の目で見てドキュメンタリーを書こうと日本にやって行きました。ところが、実際の光景を目にすると、自分には十分にレポートする能力はないと感じました。そこで彼女は、感じたことを詩に綴りました。PBS放送の「ニュースアワー」という番組のインタビューで、彼女は次のように語りました。「私の旧友で今は亡き詩人のウィリアム・スタフォードは、『詩はたましいの緊急事態』と言っていました。」

祈りの心

若いお母さんが2歳と4歳の娘をつれて飛行機に乗っていました。彼女は娘たちが他の乗客のじゃまをしないように、いろんなおもちゃで気を引こうとしていました。そのとき、パイロットがアナウンスを始めました。パイロットの声がスピーカーから流れると、年少の女の子は自分の手を止めて頭をさげました。そして、アナウンスが終わると、「アーメン」とささやきました。たぶん彼女は、それが祈りだと思ったのでしょう。最近自然災害があったので、そのために祈っていると思ったのかもしれません。