契約信仰
◆ 創世記31-32
◆ マタイ9:18-38
神を愛する人々、……のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださる―ローマ8:28
神に仕えている人は、暗黙の内に「契約信仰」に生きていることがあります。つまり、神に時間と労力をささげているので、見返りとして、特別な祝福を得る資格があると思うのです。
ところが、友人のダグラスは違いました。彼の人生は、色々な意味でヨブのようでした。牧会に失敗し、妻をがんで亡くし、飲酒運転の事故の巻き添えになって自分も息子も怪我をしました。しかし、彼は言います。「神と人生をごっちゃにしてはいけない。」
なぜ今、行けないのですか
◆ 創世記27-28
◆ マタイ8:18-34
ダビデは、その生きていた時代において神のみこころに仕えて後、死んで ―使徒13:36
友人は長年、宣教師としてスリナムで働きました。そして晩年、病気で身体が麻痺しました。「神はなぜ、僕を生きながらえさせるのだろう。主のもとに行きたいのに…」と彼は思いました。
「生きているのが辛い」という状況の人がいたとしたら、なぜ、神はこんな状態をつづけられるのか、と思うかもしれません。イエスが御国に戻っていかれるとき、「主よ。なぜ今はあなたについて行くことができないのですか」(ヨハ13:37)とペテロは尋ねました。ペテロのように、今すぐ御国に入れていただけないのはなぜだろう、と思うかもしれません。
召される
◆ 創世記25-26
◆ マタイ8:1-17
主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。―創世記12:1
大学時代の友人は、今までに会った人の中で最も頭が良い人です。彼は州立大学で学んでいるときにクリスチャンになり、優等卒業学位を授与され、有名な神学大学院で学びました。そして、故郷の家族や友人から遠く離れた、へき地の小さな教会の招聘に応じて牧会にあたりました。12年が過ぎたとき、彼はその教会には新しいリーダーが必要だと感じて辞表を出しました。大きな教会や、キリスト教系の大学、または神学大学院で教えて欲しいという招聘があったわけではありません。実際、次の仕事はなかったのですが、神が自分を別の方向に導いておられると確信していたので、そこを去るという召しに従いました。
関わる
◆ 創世記16-17
◆ マタイ5:27-48
しかし、[イエスは]サマリヤを通って行かなければならなかった。―ヨハネ4:4
南フロリダにあるノレーナの家は、1992年に襲来したハリケーン・アンドリューで大破しました。損害保険を使って修理を始めたものの、途中で資金が底をつき、電気の通っていない家を残して業者は去っていきました。ノレーナは15年もの間、延長コードで接続した小さな冷蔵庫といくつかのランプでしのぎました。驚いたことに、隣人たちは彼女の大変な暮らしに気づいていませんでした。ところが、どういう訳か、この話が市長の耳に入ったのです。市長は、援助の手を差し伸べました。市長が電気業者に連絡を入れると、ほんの数時間で電気が使えるようになったのです。