1年で聖書を!
◆ 民数記9-11
◆ マルコ5:1-20
◆ 民数記9-11
◆ マルコ5:1-20
聖書のみことば マタイ16:21-28
人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。―マタイ16:26
数年前、私の友だちは、あのタイタニック号にまつわる遺品の展示会を見に行きました。来場者たちは、タイタニック号に実際に乗っていた乗客か乗務員の名前が記された乗船券を渡されます。それは約100年前、一生に一度というべき旅に出た人々です。友人たちは銀食器や他の工芸品などの展示を見て回りましたが、最後に思いがけない展開が待ち受けていました。
順路の最後には大きな掲示板があり、すべての乗員の名前が階級とともに表示されていました。一等客、二等客、乗務員などです。友人は自分の乗船券に記されていた名前を探しました。すると、ふとあることに気づきました。掲示板には、多くの名前をふたつに分ける一本の線が引かれていて、その上にあるのは「救われた」人々の名前であり、下にあるのは「救われなかった」人々の名前だったのです。
これにはいささか深いものを感じます。究極の問題は唯一「救われた」か、「救われなかった」かです。社会的階級がどうであるかは、まったく関係ありません。「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう」(マタ16:26)と、イエスが言われたとおりです。
あなたはたぶん、イエスを信じて、救われているでしょう。けれども、あなたと一緒に船に乗っている人たちはどうでしょう。その人たちを外面的なことで判断するのはやめて、人生の最終目的地について話をしてみてください。
永遠に照らしてみるなら、何を信じるかは、何を達成したかよりはるかに重要だ。