Month: 4月 2011

神のみこころを知る

1年で聖書を!
◆ Ⅱサムエル記9-11
◆ ルカ15:11-32
聖書のみことば エペソ5:17-21

 
何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、―ローマ12:2

将来の不安に直面している青年が、来年のことは分からないという状況で、こう結論づけました。「神のみこころは誰にも分からない。」果たしてそうでしょうか。将来のことが分からないということは、神のみこころが分からないことにつながるのでしょうか。

隔ての壁

1年で聖書を!
◆ Ⅱサムエル記6-8
◆ ルカ15:1-10
聖書のみことば エペソ2:11-22;4:1-3

 
キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、―エペソ2:14

ベルリンの壁が崩壊して21年になります。1989年11月9日、東ドイツの人々は国営テレビの報道によって、西ドイツへ自由に行けるようになったと知りました。翌日、東ドイツのブルドーザーは、東西ドイツを28年間にわたって分断していた壁を撤去し始めました。

神の善の目的

1年で聖書を!
◆ Ⅱサムエル記3-5
◆ ルカ14:25-35

 
神が私たちをあわれみ、祝福し、御顔を私たちの上に照り輝かしてくださるように。―詩篇67:1

子どもの頃、教会の日曜学校で「神は、良くしてくださる。神は良くしてくださる。私の手を取り、立たせてくださる。神は良くしてくださる」と、よく歌ったものです。神はまさに善です。そして人々にとって良いことを、喜んでしてくださいます。私たちが苦難の中にいるときは私たちの手を取ってくださり、人生の試練に襲われても、それに立ち向かえるようにしてくださいます。けれども、なぜ神が善なのだろう、と不思議に思ったことはありませんか。神が良くしてくださるのは、私たちにその値打ちがあるからではありません。また、ご利益によって、私たちの愛や忠誠を買う必要があるからでもありません。

この方は、どういう方なのか

1年で聖書を!
◆ Ⅱサムエル記1-2
◆ ルカ14:1-24
聖書のみことば ルカ19:28-40

 
祝福あれ。主の御名によって来られる王に。―ルカ19:38

やじ馬が、ほこりっぽい土道の両側にぎっしり立っているのを想像してください。あなたの後ろにいる女の人は、つま先立ちで向こうから来る人を見ようとしています。遠くの方に、ロバに乗った男性がちらりと見えます。その人が近づくと、人々は自分の上着を路上に放り投げます。突然、後ろの方で木が裂ける音がしました。ひとりの男性がしゅろの小枝を次々に切り落とし、人々はそれをロバの行く手に敷いていきました。

苦労と成果

1年で聖書を!
◆ Ⅰサムエル記30-31
◆ ルカ13:23-35

 
悪者には心の痛みが多い。しかし、主に信頼する者には、恵みが、その人を取り囲む。―詩篇32:10

あるフットボールチームが夏期合宿をしたとき、コーチたちは選手を叱咤激励することばをプリントしたTシャツを着ていました。それは「毎日、どちらかを選ばなければならない。練習のつらさか、後悔の痛みか」というものです。訓練はつらいものです。さぼりたいと思うこともありますが、スポーツでも人生でも、つらくても短い期間頑張ることが、長い目で見れば成果を上げる唯一の道です。戦闘に巻き込まれてから準備をしても手遅れです。人は、人生の試練に対する準備が整っているか、それとも準備を怠って「もし、…たら、どうしよう」とか「…していればよかったのに」と、不安や後悔にさいなまれてばかりいるか、そのどちらかです。これが後悔の痛みというものです。