1年で聖書を!
◆ ヨブ記17-19
◆ 使徒10:1-23
聖書のみことば ルカ15:1-10

いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください―ルカ15:6


私は、自分が見つけられるまで、いなくなっていたことを知りませんでした。いつもどおりの日常で、色々と邪魔が入りながらも、一つひとつ用事をこなしていました。そんなとき、「あなたは私の従姉妹だと思います」という件名のメールを受信しました。それによると、この人ともうひとりの従姉妹は10年近くも、私の親族を探し続けていたそうです。その理由は、もうひとりの従姉妹が、父親の亡くなる前に、生き別れになった彼の家族を見つけてあげると約束したからでした。

私は自分からいなくなったわけではありません。また、見つけられるために何かをしたわけでもありません。しかし、自分が失われていた者であることを認めなくてはなりませんでした。従姉妹たちは、私の家族を見つけるために、多大な時間とエネルギーを割いてくれました。私はそれを知って、何か自分が特別な人間であるかのように感じました。
 

この出来事から、ルカの福音書15章のたとえ話について考えました。いなくなった羊、失くしたコイン、そして放蕩息子のたとえ話です。私たちが神からさまよい出るとき、それが放蕩息子のように意図的であっても、あるいは羊のようにうっかりとでも、神は私たちを探してくださいます。また、自分の認識はどうであれ、真実の神と無縁の生活をしているなら、私たちは失われた者です。見つけられるために必要なのは、自分が神から離れており、神が探しておられるのは自分だと認めることです(ルカ19:10)。強情さを捨てることで、私たちは神に結ばれ、神の家族に復帰できます。

(Julie Ackerman Link)

見つけ出してもらうためには、失われていることを認めなければならない。