1年で聖書を!
◆ 詩篇49-50
◆ ローマ1
◆ 詩篇49-50
◆ ローマ1
聖書のみことば ミカ書6:6-8
私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。―詩篇73:28
哲学者たちは「良い人生とは何であり、誰がそれを手にするのだろう」と思いを巡らします。私は、良い人生といえば、友人のロイを思い出します。
ロイは、人の歓心を全く買おうとしない、物静かでおだやかな人でした。自分の生活を天の御父にゆだね、御父のみこころだけを考える人でした。彼の物の見方は、天の御国の観点でした。「私たちは地上では寄留者に過ぎないのだ」と、よく私に指摘してくれました(ヘブ11:13)。
ロイは、去年の秋に亡くなりました。友人たちは葬儀の席で、ロイが自分たちにいかに大きな影響を与えたかという思い出話をしました。多くの人が、彼のやさしさ、惜しみない献身、謙虚さ、おもいやりなどについて語りました。彼は、神の無条件の愛を目に見える形で示してくれました。
葬儀の後、ロイの息子は、父親が最後の日々を過ごした老人ホームに遺品を取りに行きました。そこには、靴が2足と数着のシャツとズボン、そして細々とした日用品がありました。これが、ロイの持ち物のすべてです。息子はそれを、慈善事業に寄付しました。ロイの人生が、悠々自適だったとは決して言えないでしょう。しかし彼は、良い行いにあふれた、神に対して豊かな人生を送りました。
ジョージ・マクドナルドはこう書いています。「天地を所有する者はどちらだろう。千軒の家を持っている人だろうか。それとも、自分の持ち家は1軒もないが、扉をたたくやいなや喜んで迎えてくれる家が10軒ある人だろうか。」
ロイの人生はやはり、良い人生でした。
神を知らずに、良い人生を知ることはない。
トピック:
人格