1年で聖書を!
◆ 詩篇107-109
◆ Ⅰコリント4
◆ 詩篇107-109
◆ Ⅰコリント4
聖書のみことば コロサイ1:1-2
コロサイにいる聖徒たちで、キリストにある忠実な兄弟たちへ。―コロサイ1:2
自分のことを「聖徒」という人はあまりいないでしょうが、新約聖書の中で、使徒パウロはクリスチャンのことをそう呼んでいます(エペ1:1、コロ1:2)。この人たちは完璧だったので「聖徒」と呼ばれたのでしょうか。いいえ、彼らも人間ですから罪人です。では、パウロはどういうつもりだったのでしょう。
新約聖書の「聖徒」という言葉は、神のために取り分けられた者という意味です。つまり彼らは、キリストと霊的にひとつになった人たち(エペ1:3-6)、すなわちイエスを信じる人たち(ロマ16:2)であり、教会を構成している人たち(使9:32)のことです。
聖徒たちは聖霊の力を通して、ある責任を負っています。その責任とは、召しにふさわしい生活をすることです。たとえば、性的な不道徳を避けること、下品な話をしないこと、汚い言葉を使わないことなどですが(エペ5:3-4)、それだけではありません。「聖徒」は新しい品性を身につけなくてはなりません。それは、必要のある人を助けること(ロマ16:2)、謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合うこと、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保つこと(エペ4:1-3)です。また、苦難や迫害の中でも従順を貫き忍耐すること(黙13:10、14:12)です。旧約聖書の詩篇の作者は、「聖徒たちには威厳があり、私の喜びはすべて、彼らの中にあります」と語ります(詩16:3)。
キリストとひとつになるとき、私たちは聖徒になりますが、聖書のみことばに対する従順が、私たちを聖徒らしくしていきます。
聖徒とは、神の光が内から輝く人のことだ。
トピック:
人格