1年で聖書を!
◆ 詩篇120-122
◆ Ⅰコリント9
◆ 詩篇120-122
◆ Ⅰコリント9
聖書のみことば ピリピ2:1-11
[イエスは]自分を卑しくし、死にまで……、実に十字架の死にまでも従われました。―ピリピ2:8
大学生の頃、多くのプロポーズ話を聞きました。友人たちは目を輝かせて、求婚したり、されたりした話をしてくれました。ある人はおしゃれなレストランで、ある人は夕日を眺めながら、また、別の人は馬車の中で…。一方、相手の足を洗ってプロポーズをしたという話もありました。彼はこの行為を通して、生涯愛し続けるためには「へりくだり」が必要であることをしっかり理解している、と証明したのです。
使徒パウロも、人々がひとつとなる上で「へりくだり」が大きな役割を果たすと理解して、「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだ」りなさい、と教えました(ピリ2:3)。結婚生活においては特にそうです。私たちは自分ではなく、配偶者である相手を第一にし、相手が望んでいることをしなくてはなりません。
「へりくだり」を行動で表すとは、配偶者に仕えることです。奉仕には、小さすぎることも、大きすぎることもありません。結局のところ、イエスは自分を無にするという行為によって、ご自分の愛を私たちに示されました。「自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われ」たのです(8節)。
今日、伴侶にへりくだって仕えるとは、嫌いな食べ物を食卓に乗せないという簡単なことかもしれません。または、長年の介護を続けるという非常に困難なことかもしれません。とにかく、相手の必要を自分の必要以上に重視することです。それが、キリストのへりくだりをもって相手を愛することです。
自分は伴侶を大切にしすぎているかもしれないと思っているなら、たぶんあなたはまだ十分に愛していない。