1年で聖書を!
◆ イザヤ書59-61
◆ Ⅱテサロニケ3
聖書のみことば 詩篇37:23-26
 
主がその手をささえておられるからだ。―詩篇37:24

試練は物の見方をがらりと変えてくれます。最近、友人と話していて、そのことに気づかされました。この友人は、私たち夫婦と同じように、十代の娘を突然亡くしました。

彼女によると、娘のいない寂しさは耐えがたく、自分を失わないためにわらにもすがりたかったのに、すがりつくわらさえないように思えたと言います。ところが、そんな気持ちを神に訴えると、神は「手を離してごらん。落ちたら、私の守りの御手が、しっかりと君を抱きとめてあげるよ」と答えてくださったのです。
 
素晴らしい発見ではありませんか。彼女の体験は、試練によってくじけそうになったとき、自分の信仰の力が自分を支えるのではないことを覚えさせてくれます。傷ついた私たちをしっかりと支えてくださるのは、神の愛なのです。

詩篇37篇23-24節は「人の歩みは主によって確かにされる。…その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。主がその手をささえておられるからだ」と語ります。また、詩篇63篇8節は「私のたましいは、あなたにすがり、あなたの右の手は、私をささえてくださいます」と述べています。

試練のとき、私たちは、神にしがみつかなければと必死になるので、「必ず守る」と神が約束しておられることを忘れがちです。あなたを支えるのは、自分の力ではありません。愛に満ちた神の御手が、下からしっかり支えてくださいます。

(Dave Branon)

神の御手に守られている人ほど、安全な人はいない。