1年で聖書を!
◆ エレミヤ書46-47
◆ ヘブル6
聖書のみことば ルカ2:22-38
 
幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は。―イザヤ書30:18

秋はミシガン州の狩猟シーズンです。この数週間、免許のあるハンターたちは森に入って、様々な種類の野生動物を狩ることができます。ある人たちは、丈夫な木製のタワーを苦心して作り上げ、そこに何時間も陣取って、シカがライフルの射程圏内に入って来るのをじっと待ちます。

ハンターがそこまで辛抱強くシカを待っているのに、私たちは本当にせっかちで、神をじっと待つことができないなあと思います。私たちは「待つこと」と「時間を無駄にすること」を混同しがちです。もし何か(誰か)を待っているとしたら、それは何もしていないことだと考えます。そして、成功を追い求める世の中では、それが時間の浪費のように思えます。
 
しかし、待つことには目的があります。信仰があるから待てる、という場合もあります。信仰が弱いと、待つことをすぐにあきらめてしまいがちです。一方、堅い信仰のある人は、忍耐して、いつまでも待とうとします。

ルカの福音書2章のキリスト降誕の物語を読むと、待ち続けて自らの信仰を立証した、ふたりの人がいることが分かります。シメオンとアンナは長い間待ちましたが、その時間は無駄ではありませんでした。ふたりは待ち続けたことで、メシヤの到来を目撃できたのです(22-38節)。

祈りがすぐに応えられなくても、それは信仰を捨てる理由にはなりません。

(Julie Ackerman Link)

神を待つことは、時間の無駄では決してない。