1年で聖書を!
◆ 詩篇109-111
聖書のみことば ローマ5:12-21
 
罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。―ローマ5:21

病気が見つかるのが嫌で医者のところに行くのを拒む人がいます。同じような理由で教会に行くのを嫌がる人もいます。しかし、自分の病気に目をつぶっていることで健康にはなれません。自分の罪に目をつぶっているから無罪というわけでもありません。

ローマ帝国の法律は、「知らなかった」という言い訳はできないという考えに立脚していましたが、この考え方はそれ以前からありました。神がイスラエルに律法を与えられた時もそうです。律法には、知らずに犯した罪に対しても、贖罪のいけにえは必要だと定められていました(レビ4章、エゼ45:18-20)。

使徒パウロは、ローマに住むクリスチャンに宛てた手紙の中で、無知や理解不足という問題について語っています。神の義について無知であったとき、人は自分で自分の義を立てようとしました(ロマ10:3)。自分自身で善悪の基準を決め、それに従って生きるなら、その人は自分に自信を持つかもしれません。しかし、それで健全な霊性が得られるかといえば、そうではありません。私たちが霊的に健全であるか否かは、神の義の基準(イエス)に照らしてみて初めて分かります。

キリストの義に到達する人はいません。しかし感謝なことは、そうならなくても大丈夫だということです。キリストがご自身の義を与えてくださったからです(ロマ5:21)。

自分の悪いところを見つけて何が良いかというならば、それは、偉大な医者であるイエスがその悪いところを治してくださるということです。

(Julie Ackerman Link)

神は私たちの霊的健康を測る方、そして癒し主である。