1年で聖書を!
◆ イザヤ書43-45
◆ イザヤ書43-45
聖書のみことば ルカ19:1-10
人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。―ルカ19:10
オーストラリアのニュー・サウス・ウェールズ州の総督を1810年から1821年まで務めたラクラン・マッコーリーは、全員一致の新しい入植地を作るという方針を打ち出しました。特権階級の人たち(自らの意志で渡豪した入植民、官僚、および軍人)は、オーストラリアに受刑者として移送された後、条件付きあるいは完全な恩赦にあずかって社会生活を赦されている人たちを差別し遠ざけていましたが、マッコーリー総督は両者を同等に扱おうとしました。
イエスはエリコの町でのけ者にされていた取税人ザアカイに心を寄せられ、神の救いの計画にあずかる人たちの中に入れてくださいました(ルカ19:1-10)。職業柄、皆に憎まれ仲間外れにされたザアカイは、イエスを何としても見たいという一心で、木に登りました。イエスはザアカイの熱い心をご覧になって、そこを通り過ぎようとされる時に、木から降りて来なさいと命じられます。彼の家に泊まる予定にしていると言われたのです。イエスが罪人とされた取税人と仲良く過ごしているので、不平を言う人もいました。しかし、イエスの愛にあふれた配慮は、ザアカイの人生を変えました。ザアカイは悔い改め、金をだまし取った人にきちんと賠償すると約束しました。救いが、彼のところに来たのです。
イエスの使命は単純でした。つまり社会的地位に関わらず、滅びゆく人を熱心に捜し、神の救いの計画を示すことです。クリスチャンである私たちも、同じ使命があります。
キリストの使命は私たちの使命でもある。